奪われたお前
前話「消えた体温」
彼女は俺の全てだった。
何を棄てても彼女を守る。そのためにしたことならば、決して後悔はしない。
そう信じていた。
だが、現実は違った。
笑う彼女は常に美しい。何年経っても――何十年経とうと、きっと彼女は変わらない。
しかし己はそうではないのだ。
日毎に衰えていく身体を感じるようになったのはいつだっただろう。
皺の一筋に気付いた時か、それとも一つの文章を覚えられなくなった時か。
しかし傍らの女は変わらない。
俺が、そうさせてしまった――。
そう気付いたあとは、もう駄目だった。罪の意識に苛まれ、今彼女が生きていることの喜びと、そして「死」を奪ってしまったことへの後悔で板挟みとなった。
苦しかった。
だが、この先に彼女が直面するであろう孤独に比べれば如何ほどのものだろうとも思った。
「……もう、俺が教えられることは何もないな」
そう呟くと彼女は目を瞬かせる。
「そんなことないわ、だってまだまだ知らないことって沢山あるもの」
まだ見ぬ「何か」に目を輝かせる彼女に背を向ける。
もう、大丈夫だ。
このまま彼女の傍に居続けたとて、別れの時はいずれやってくる。
ならば、俺は俺に出来ることをしなければならない。
「……どこか、行くの?」
旅装になった俺に、寂しげな目を彼女は向ける。
「……っ」
そんなことない、ずっと傍にいる。
そう言いたくなるのを堪えた。
泣きたくなるほど、彼女が愛おしい。でもそれを見せてはいけない決して。
何故なら俺は――
「――次に会った時、俺は……君を殺す」
必ず、彼女に「死」を取り戻させる。
俺はそう決意し、彼女に別れを告げた。
そしてこれから、俺の……あまりに長い、長過ぎる旅がはじまる。
再び彼女に逢うまでに、己が何度死を迎えたかなど、最早数え切れないほど。
次話「棄てた君」
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