知の魔女
世界の果てに届くほど遠く、深い、深い森に古びた塔が建っている。
そこには「知の魔女」と呼ばれる、博識の女が住んでいた。
彼女は千年を生き、世界のあらゆる物事を全て知っているらしい。不治の病の治癒法を知り、超常現象を起こすことが出来るという噂だ。
そんな噂に踊らされ、幾人もの人々が彼女の叡知を、権力を求め、その塔へと向かった。
だが、未だ一人として帰還者はいない。
行けばどのような目にあうのか。
ある人は、森で凶悪な魔物に襲われるのだと言う。ある人は、訪れた人びとをその魔女が喰らっているのだと言う。またある人は、そもそもそんな塔、ありはしないのだと言う。
「……やっと着いた」
しかし彼は、そんな噂をものともせず、件の塔に辿り着いた。
眼前には、古びた塔がある。千年経っているとは思えぬほど、中へ通ずる扉もしっかりしたもので、押し開けば、ギギィと軋むような音はしたが、さほどの抵抗もない。
扉を開けば古書の香りがした。
「……なつかしい」
塔の中へ一歩足を踏み入れる。床もギシリと軋んだが、気にせず歩いていった。
彼の歩みは止まることはない。
塔の中のどこに何があって、何がないのか。それがわかっているかのように迷いがなかった。
いや、真実、彼はそれらを知っていた。
しかし、彼がここに来たのははじめてだ。
はじめて、なのだが――
「ここだな」
塔の一階、一番奥の扉の前で彼は足を止めた。
大きく重厚な木の扉。それに手を当て、ゆっくり押し開く。
中には壁一面の棚を埋める本。そして、その中央に女が座っていた。艶やかな流れる黒髪を背にたらした彼女が座る広い机にも本の山が積まれている。しかし、彼女は訪問者を待ち構えていたかのように、じっと座っていた。事実、待っていたのだろう。
「此度の旅人は、随分お早い到着だこと」
彼女と目があった。
どきりと胸が高鳴るのを感じる。
それを隠すようにして、彼は微笑んだ。
「そりゃあ、魔女は最上階にいると思い込む
「そのようね」
彼女が対面の椅子にちらりと視線を送った。それに座れ、という仕草を見逃さず彼はそれに座り、魔女と呼ばれる彼女をまじまじと見た。
見た目の年の頃は、今の自身とそう変わらないと思った。十代後半、少なくとも二十代前半に見える。
だがその見た目どおりの年でないことを、彼はよく知っていた。
「それで。久方振りのお客人……、あなたは何を知りに来た?」
彼女は机に肘をついて手を組んだ。彼女はうっすらと微笑みを浮かべているが、それは心からのものではない。美しい容姿と相まって、冷え冷えとしたものを感じた。
だが彼はそれを気にすることなく、こちらに何も期待していない目をした女に、にやと口端を上げる。
今日この時、言うべきことは既に決まっていた。
千年の昔――、愛した女が不死となり、その女に請われ女の元を去る「間違い」を犯した日から。
「俺が知りたいのはただ一つ」
千年前とは顔も髪の色も変わってしまったが、それでも彼女なら気付くと信じて、言った。
「『君の心』が知りたい――。千年前の話の続きをしよう」
お題「知る」
次話「千年の旅人」