千年の旅人

単体でもお読みいただけますが、前話「知の魔女」から読むことをおすすめします。

 世界から隔絶された、深い、深い森の奥地に古びた塔が建っている。

 そこに不老不死となった少女が長い(とき)を過ごしていた。

 この世の全てを知りたいという欲のために、安息なる死を捨て去った彼女は、千年の間に「知の魔女」と呼ばれる存在になっていた――が、人々が求め来る知識は未だ持ち合わせていなかった。

 知らぬ病は多く、不老不死となる方法さえ、彼女自身は知らない。

 その願いを叶えてくれた少年は、その方に口をつぐんだまま、彼女の元を去った。

 それでも、訪れる旅人を無下に扱うことはなかった彼女だが、大抵は記憶を消し近くの町へと帰していた。

 それゆえに、魔女やその森に対して様々な憶測が飛んでいる。しかし、彼女にとってはどうでも良いことであった。


「……また誰かが来た」


 もう何年も、外側から開かれたことのなかった塔の扉が開いたのを感じる。

 彼女は読んでいた本を閉じ、旅人を迎えるべく定位置に場所を移した。

 塔の一番奥にある部屋、そこの机に座る。

 一階のごく僅かな居住区画を除いて、内部の殆どが書籍を保管する場所となっている塔。

 今彼女がいる部屋も、壁は本棚で埋まり、机の上にも本が積まれているものの、一応ここが客間である。

 自身が「魔女」と呼ばれているのを知った時に、雰囲気を出すため最上階に客間を移すことも考えたが、結局は行くのが面倒という理由でやめてしまったからだ。


「……?」


 彼女はふと顔を上げた。

 まだ客人の姿は当然見えない。

 しかし、何か、微かな既視感のようなものを覚えた。

 何にか。それは自問してもわからない。

 その正体が知りたくて、彼女は旅人の気配を探る。


「……あら」


 大抵の彼らは、迷うことなく最上階を目指す。

 しかし今回の旅人は、同じように迷いなく、だが多くの彼らと違ってこの客間へと歩いてくる。

 そして、扉の前で止まった。

 一拍おいて、それがゆっくりと開いていく。

 彼女は、どうしてわかったのだろうと思いつつ、机の上で手を組んだ。


「此度の旅人は、随分お早い到着だこと」


 平静を装いながら、現れた男を観察する。

 金の短い髪に琥珀色の瞳。歳は若いようだが、老成した理知性をそこに見る。服装も旅装ではあるが、森を歩いてきたとは思えぬほど乱れがなかった。

 彼と目があう。

 言い様のない高揚感で胸が高鳴った。

 知らない男だ。初めて会う。

 しかし、本能のような部分がそれを否定する。

 男は薄く笑んだ。


「そりゃあ、魔女は最上階にいると思い込む阿呆(あほう)とは違うさ」

「……そのようね」


 彼女は対面の椅子に視線を投げ、座るように促す。

 彼は至極当然という様子でそれに従った。


「それで。久方振りのお客人……、あなたは何を知りに来た?」


 今まで数え切れないほど訊ねた問いを口にする。

 これまでの客人とこの男はどこか違う。そう感じていた。

 しかし、彼女はこの男に会ったことがない。きっと気のせいだと、その思いを無視して、これまでと同じように微笑んだ。


「俺が知りたいのはただ一つ」


 ニヤリと口端を上げる彼に、何かが重なって見えた。

 この男は知らない男――、ではない。

 顔も髪の色も変わってしまったが、ふいに彼女は理解する。


「『君の心』が知りたい――。千年前の話の続きをしよう」


 彼女は椅子を蹴倒して立ち上がった。


 ――次に会った時、僕は君を殺す。


 この男は、彼女が千年前愛した、そして、彼女を殺す男だ。

前話「知の魔女

Copyright (C) Miyuki Sakura All Rights Reserved.
inserted by FC2 system