040:記憶

 ただ、心地よい眠りに誘われたのを覚えている。

 その日は、思えば異様な緊張感があった。

 まだ、一歳になるかならないかの弟以外の、「家族」が席に着き、夕食をとる。

 家族、とは言っても、王と王妃の間は、もう随分前から冷え切っていて、第二夫人を迎えたことから、さらに会話は消えた。その第二夫人も、輿入から一年と経っていないにもかかわらず、王にすり寄るどころか、むしろ嫌っている、と言われた方が自然なほど、淡々とした態度であった。もちろん、互いに会話もなく、空気は冷えている。

 そして、その席に同席するもう一人が、エセル。正直なところ、居心地は最悪であるが、慣例となっている「家族での食事」を欠席する事は許されなかった。

 毎夜のことながら、気が重い。第二夫人が来る前から、雰囲気が良かったわけではないが。

 エセルは溜息を押し殺して、三人の様子を窺った。

「………?」

 父、母、第二夫人。エセルは三人に視線を順に巡らせていく。

 何かがいつもと違う気がした。父、母はいつも通り。ということは。

「アイリア様。」

 エセルが名前を呼ぶと、彼女はびくっと大きく肩を揺らして、恐る恐る、エセルの方を見た。

「な、何でございましょうか、殿下。」

「…いえ、いつもと何処か違う気がしまして。具合でもお悪いのでは?」

「い、いえ…。とくに不調は、ございません。」

 そして、また俯いてしまった彼女を見て、そうですか、と彼女に気遣う声だけかけて、会話を終了した。

 この時に、もっと注意して彼女を見ていれば、不意に話しかけられたがゆえの反応であると高を括らなければ、気が付けたのだろうか。


 エセルの次の記憶は、卓に倒れ、薄れゆく視界の中、人々が叫び、喚いている場面だ。遠くで父と思しき男が叫び、喉を掻きむしっているのが見えた。

 それを見ても、何故か心は静かなまま。ただ、安穏とした眠りがエセルを支配しつつあった。

 このまま、死ぬのだろうか……。

 何故、父のように苦しまないのかは分からなかった。

 感覚が消えていく。目が霞んでいく。

 その時、頬にぱたりと何かが落ちる感触がした。

「ごめんなさい……」

 それが誰の声だったのか、頬に落ちたのは何だったのか、何も分からなかった。

 そして、それを最後にエセルの意識は途絶えた。


 そして五年。エセルは冷たい牢獄の中で過ごすこととなる。

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