011:鎖

 麗らかな春の日。舞い散る花弁の中を進む馬車。その上に乗っていた、あの日、この世で誰よりも幸せだと言われたその人、隣国からやってきたアリステーラ姫。彼女とこの国の第二王子、オーフェス王子が婚儀を挙げ、数ヵ月。あの日からアリステーラ付きの侍女になった少女リィナは、起床時にアリステーラが所望する茶と、そこに落とす蜂蜜を手に、彼女の部屋へと向かっていた。

「ハミル様、おはようございます。」

 いつも通りアリステーラの部屋の前で、護衛の任に就いている男に、リィナは声をかけた。

「おはようございます、リィナ殿。」

 低すぎない耳心地の良い彼の声に、赤くなる頬を悟られないように、リィナはサッと会釈して、彼の隣にある扉に向き直る。

 ハミルはアリステーラが祖国から連れてきた唯一の従者であった。男性、そのうえ容姿も整い、姫の幼少のみぎりから傍に侍っているらしいということで、はじめは口に出して憚られるようなよからぬ噂も流れていたが、姫と王子が大変仲睦まじいことと、ハミル自身の生真面目な性格により、今ではそういった邪推も少なくなってきている。

 彼はいつだって静かにアリステーラの後ろに控え、仕事に忠実だった。夜は夜警の兵達以外が寝静まるころになっても傍に控え、朝はこうしてリィナがアリステーラを起こしに来る時分にはもう、この場所にいるのだ。

 いつ、寝てらっしゃるのかな……。

 リィナは扉の取っ手を掴み、動きを止めた。いつもならば、このまま部屋に入ってしまうのだが、一旦気になってしまったからには、聞かずにはいられなかった。

「あの、ハミル様。」

 いつもならば、そのまま横を通り過ぎていってしまうリィナが話しかけてきたことに驚いたのだろう、ハミルは少しだけ目を見開いて、何ですか、と聞いてきた。

「ちゃんと、寝てらっしゃいますか?」

 自身のそれより少し高い位置にある彼の顔を見上げ、そう問いかける。見たところ疲れている、といった様子は見られないことに、少しほっとしたが、医者でもないので、はっきりしたことなど分からない。

「……大丈夫。」

 ハミルは少し言葉に迷うように黙考した後、そう一言答える。そして、リィナが手を添えていた扉の取っ手を、ハミルは彼女の手を包むようにその上から握って、扉を押し開いた。

「ちゃんと寝ていますから。」

 重なる手と、耳元に聞こえる彼の声にどぎまぎしながら、リィナはそっと振り返った。

「なら、良いの…ですけど……。」

 振り返った先の彼は微笑みを浮かべていた。

 なに……?

 言いしれぬ悪寒のようなものが、リィナの背筋を這う。

 その微笑は痛ましくて、自身の手を包む彼の手は、ぞっとするほど冷えている。

 それはまるで罪人の手足を繋ぐ鉄の鎖のように、リィナの体温を奪っていく―――

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