知らない声
心にいつも穴が空いているような感覚があった。
優しい両親、衣食住に困ることもない何一つとして不自由のない暮らし――。
それらが生まれながらにして与えられているそのことがどんなに幸運なことか、僕にも分かっていた。
それでも、心を巣食う空虚さが消えることはない。
幸せな生活を送っていると、分かっていても。
夢を見ても苦しさを忘れられることはない。
夢の中に時折現れる、見知らぬはずの少女に手を伸ばす。しかし、その手は彼女に触れることなどできないのだ。
必死に知らないはずの少女の名を呼ぶ。だが彼女は穏やかに微笑みそして、聞き慣れない名で僕に呼び掛けてくる。
それが僕には無性に嬉しくて、哀しかった。
「――――、」
しかし目が覚めると、僕は知っていたはずの彼女の名も、僕に呼び掛けた声も何もかも、全て忘れてしまう。
はっきりと見つめていたはずの顔も朧げで、あんなに叫んだ君の名を呟くことすら出来なくなった。
彼女に会いたい。
そんな願いは、胸を食い破って溢れだしそうな程の激情となって僕を苦しめるのだ――。
そんな日々を送っていたある日のこと。
「街へ買い物に行きましょう」
そう言って楽しげに笑う両親に連れられ、僕は近くで一番大きな街に行くこととなった。
賑やかな街をどこか冷めた気持ちで眺めていた時、新聞の切れ端のようなものが僕の前にひらりと落ちてきた。
何気なく拾って文字に目を通す。
『魔女は実在した 調査隊 塔より帰還』
「……魔女」
この街から遥か遠い場所にある森の中に、永い時を生きる魔女が住んでいるという。
僕も噂では何度か耳にしたことがあった。
だがそれほどの興味はない。魔女が存在しようが何だろうが、僕の人生には何も関係がないこと――
その時、僕の目が紙面に描かれた少女の肖像を捉える。
「――――ッ、!?」
僕は胸を押さえた。
血が逆流するような、沸騰するような。そんな熱に浮かされる心地がして、頭がぐらぐらする。
やっと、見つけた。
いや違う、僕は彼女を知らない。
知っている。ずっと求めていた。
知らない、僕は知らない。
いや、知っている。俺は知っている――!
ついに立っていられなくなって、片膝をついた。新聞は知らぬ間にぐしゃりと握りつぶされている。
しかし、口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「――ハハ、よく描けてる。でも彼女はもっと、可憐だ」
俺は立ち上がって、服についた埃を払った。
さあ、行かなければ。彼女に会うために。
そして、殺すために。
次話「消えた体温」
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