015:黒
久方ぶりに袖を通した煌びやかな服。昔は何も思わず着せられていたそれを、エセルはひどく鈍重に感じながら身に纏う。
今上と皇太后の両陛下に会うのに相応しい格好に着替えろと、通された部屋は小さな物置のような部屋だった。勿論、今着ようとしている服も、新しく誂えた物でなどなく、5年前に着ていたものだ。いや、同じものだが、ところどころ補修がなされていた。
「五年も前のもの……。」
何故残っているのだろう。他の様々なものと共に捨てられたに違いないと、エセルは思っていた。
青地に金の刺繍が施されているそれは、定期的に手入れされていたのか、埃が被っていないのは勿論、経年劣化による綻びも見当たらなかった。
そして、微かに花の香りが香る。これは五年前にはなかったものだった。
「……。」
エセルは不思議に思いつつも、考えるのはやめた。
そして何事も無かったかのように、首元のリボンを結び、髪を整える。そして、今まで着ていた薄い布切れのような服と、城への道中着ていた外套をたたんだ。
そして一つ息を吐くと、顔を引き締めて部屋の扉を開けた。
「陛下に王族としての立ち振る舞いを御教えして頂きたいのです。」
そう言ったのは通された先で、玉座に座る幼子の隣に立つ女だった。
ここまでエセルを連れてきたアルトセア候は、部屋へエセルを押し込むとそそくさと消えていったため、今この部屋には、エセルと眼前の二人だけがいるのみだった。
感情の感じられぬ、冷たい目線をエセルに向ける女は、それ以外何も言わず、それ以上の詳しい説明をする気配はない。
何を言ってるんだこの女は、と思ったエセルだったが、何とか抑え込み、平静を装ったまま、少し上段にいるその女を見上げた。
「………式次第などといった事でしたら、私より官吏達の方が遥かに物を知っていますよ。」
そう返すと、女の顔がより冷やかになった。さながら吹雪でも背負っていそうなほどだ。
「陛下には、貴方には当然としてあったものが御座いません。何か分かりますか。」
「……いいえ。」
突然謎かけのような事を言う女に、エセルは素直に首を振った。女は予期していたのだろう、表情を変えることなく、問いかけの答えを述べた。
「手本、です。」
「『手本』?」
女は静かに頷く。
「……貴方は五年前まで先王陛下が居られました。常に今後手本と出来る指標が御座いました。」
女はそこで言葉を切り、チラリと横に座る子供に視線を投げた。
「ですが……。陛下は、御生まれになり、間を置かずして先王陛下は御隠れ遊ばされた……。先の皇后陛下も居られませぬ今、貴方以外に『手本』と成り得る人はいないでしょう。」
彼女自身に関しても、第二夫人となる以前は貴族と言えど、末席にいたため、とても手本とはなりえない、と謙遜までしてみせた。
一見、納得できる論であるような気がした。だが、エセルはどことなく引っ掛かりを覚えた。
何か、隠している気がする。
ただの勘、ではあったが、本当にわざわざエセルを解放してまですることなのだろうか。
「五年前の名誉の回復は済ませてあります。……あの事件の首謀者としては、別の者を既に処刑してあります。」
そこまでして?
エセルは怪訝な面持ちで女をじっと見つめる。
五年前と変わらぬのは、艶やかな黒髪ぐらいだろうか。あの頃はただただ、控えめな女だったような気がする。
こんな、冷たい目をする女では。
「……御意に、アイリア皇太后陛下。」
彼女の纏う、髪と同じ色の真黒のドレスは、一層彼女の冷たさを増していくように見えた。