005:狂

「やっ……、やだ……。」

 目の前の女はそう言って、じりじりと後ずさってゆく。

「やめて……。」

 俺は一歩、また一歩と歩を進めて、彼女が開けようとする、俺と彼女の距離を縮めていく。

「お願い……。」

 その懇願の声を最後に、女の背が後ろの壁についた。

 彼女の顔が恐怖にゆがみ、ついには涙が零れ落ちる。

 今、俺はどんな顔をしているのだろうか。

 憤怒か。憎悪、だろうか……。

「アーネスト、お願い、許して……。」

 俺は彼女の涙の訴えを、黙ったまま聞いた。

 また一歩、彼女に近付いた。

 彼女は、壁に助けを求めるように、一層壁の方へと身を寄せる。

 俺はそれを気にも留めず、また一歩、彼女へと近付いた。

 彼女の足からついに力が抜け、彼女はその場に座り込んだ。

 俺はもう一歩近づいた。

 もう間近に彼女がいた。

 下方から俺を見上げる彼女の瞳は、恐怖に満ちていた。

「アーネスト……、私は―――」

「もう、遅い。」

 俺は地面に膝をつき、彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。

 少し前までなら、きっと彼女は頬をほんのり赤に染めていただろう距離。今の彼女はただただ青い顔をしていた。

「もう、遅いんだよ。ネリア。」

 息を飲んだ彼女に俺は―――

Copyright (C) Miyuki Sakura All Rights Reserved.
inserted by FC2 system