047:冷
「ただいま……」
屋敷に帰ったアーネストを出迎えるのは、冷え切った空気だけだった。玄関ホールには誰もおらず、薄暗さがより陰鬱さを醸し出している。
カトレアの酷い癇癪に耐えかねて、使用人達も次々と辞めていった。
ついこの間、何年も何年も、それに耐えてくれた古参の執事すら老齢を理由にして暇を請うた。疲れ切った彼の表情を見れば、アーネストにそれを拒むことなど出来なかった。
「カトレア、いるのか?」
妻の部屋を覗けば、枕から飛び出した白い羽が床に散乱している。暗い部屋で女が床に座り込み、その隣にはビリビリに裂けたシーツが落ちていた。
「どこへ行っていたの!!」
金切り声に思わず眉を顰めると、彼女の癇癪はより酷くなる。
「なんなのよ、その顔! あなたまで、私を馬鹿にするの!?」
「違う、そんなんじゃないよ」
「嘘よ!!」
近付けば、縋りつくようにカトレアはアーネストの腕を掴んだ。
伸びきり、手入れを怠った爪が、アーネストの腕を抉る。
うっすらと浮かぶ血に、カトレアは気付く様子もなく、今度は泣きじゃくっていた。
「わたし、あなたにすてられたら、いきていけない……」
「カトレア、君を置いていく気はないよ」
「――そんなの分からない! アンドレアも、あの子も、みんな、わたしをおいて……!!」
アーネストは何も言えなくなって、泣き叫ぶ彼女を見下ろす。
「ねぇ、だから証明して。わたしをおいていかない、って。ねぇ」
「いっ……」
カトレアの手に力が籠り、アーネストの腕に深い傷を残してゆく。
「早く、あれを持ってきてよ……!」
痛みと、毎日こんな妻を見る疲れ、それがアーネストを疲弊させていた。
今まで、その言葉に決して頷かなかった。
だが、もう疲れてしまった。
「…………分かった」
これで、妻が元に戻るのではないか、そう思うと、それは酷く簡単なことに思えた。