裏切りを抱えて(2)
前話「裏切りを抱えて(1)」
話が纏まった後の展開は実に早いものだった。
早々に隣国へと移ったラディアは、あっという間に婚礼の日を迎え、美貌の国王セイラスと式を挙げた。
冷たげな風貌とは違い、優しい人だった。
住む国が変わり、生活も変わり――、それに戸惑うラディアを常に慮ってくれていた。
――情が、湧かぬはずがなかった。
「これはどういうことだ、ラディア」
セイラスの手には抜き身の短剣、その刃が握られている。血がそこから手首を伝って流れていった。
そしてその、短剣の柄を握っているのは――、ラディアだ。
「……あなたを、殺そうとしております」
剣先は彼の喉元までいくばくもない所で止まっていた。
ラディアは力を込め続けていたが、それを止めるセイラスの力の方が強く、ぴくりとも動かない。
殺されかかっているというのに、彼の目は静かだった。
「私が憎いか?」
「……いいえ」
迷った末にそう答えると、彼は嘆息する。
「だろうな。憎しみによる行為ならば――」
セイラスの空いた左手がラディアの頬に触れる。
「この涙の説明がつかない」
彼の指先は、血ではない透明な雫で濡れていた。
それを見てはじめて、ラディアは自分が泣いているのだと気付く。
彼を殺したくない、と思っているのだと。
「――っ、……」
ラディアは短剣の柄から手を離す。いや、知らぬうちに離していた、という方が正しいかもしれない。
彼に死んでほしくないと思っていることに気付いた今、剣を握り続けることなど出来るはずもなかった。
「……ラディア」
セイラスは握っていた短剣をすぐ横に置いた。ラディアにも手を伸ばせば届く位置に。
「誰の命だ?」
彼の行動に「どうして?」と思いながらも、質問には反射的に首を横に振る。
言えるはずがない。
だってそれは、生涯の主から与えられた最後の――。
「……あちらの王妃か」
心を見透かしたかのような声に、ラディアはビクリと震え、口を抑えた。
「ちがっ、ちがいます!! これは、私が、勝手に……!」
ラディアはすぐに否定の言葉を口にするが、セイラスは静かに首を振る。
「よい。お前が自分の意に反してまで殺しをするよう命ぜられる相手など、あの女しかいないだろう?」
ラディアは言葉に詰まる。その通りだった。
しかし素直に認めるわけにもいかず、ふいと視線を逸らす。
「……あの方を、『あの女』なんて、言わないでください」
彼の問いに正面から答えなかったこと自体が、それを肯定しているようなものだということは分かっていた。しかし、何も言うことなど出来なかった。
セイラスもそれ以上は追求せず、かわりにまだ涙で濡れるラディアの頬を撫でるように触れる。
「お前を泣かせている相手だぞ。『あの女』で十分だ」
それだけ言うと、顎をそっと掴まれ上を向かされ、彼の唇が重ねられた。
優しい口付けに、ラディアも目を閉じる。
このまま今夜のことは忘れて、嫌なことは全て無くなってしまえばいいのに。
そんなことを思う。
「――どうして、自分を殺そうとした相手に、こんな……優しくできるのですか」
「…………さぁな」
長い口付けの最中、セイラスはラディアの背に手をまわし、軽々と身体を位置を反転させる。
ラディアは大人しくベッドに横たわりかけて、ハッとする。
左手は顎を掴んだまま。ならば今背中に回された手は――。
「陛下……! 手の怪我は……」
「……ああ。すまない、夜着を汚したな」
「そういうことではなく!!」
ラディアは跳ね起きて、セイラスの右手を掴んだ。
やはりまだ、そこからは血が染み出していた。
「手当を……」
「お前が怪我をさせたのに?」
「そ、それは……」
ラディアがたじろぐと、セイラスはくつくつと笑う。
「冗談だ。責めてはいない。……だが、」
そこで言葉を切ったセイラスに、ラディアは何を言われるのかと緊張する。しかし、彼はこちらの予想に反して、ふっと笑った。
「手当を受けさせたくば、知っていることを話してもらうぞ」
「そ、れは……」
返答に惑っていると、セイラスは肩を竦める。
「私はどちらでも構わんが? このままお前と朝まで――、というのも悪くない」
そう言いながら、彼は再びラディアに口付けようとする。
「っ〜〜!!」
――貴女と離れるのは辛いわ。でも、腕のたつ貴女だからこそ、
もう生涯の主と定めたはずの彼女の命が聞こえたような気がした。しかしそれを遂行することは最早できそうにない。
ラディアがセイラスの手当のため、折れるのはそう先ではなかった。
次話「裏切りを抱えて(3)」