水下の華 旧話

旧話について

ここでは、2011/09/14から2014/07/20にかけて連載していました、「旧 水下の華」を掲載しています。

当作品の書き直しにともない、それまでに書いていたものは本編としては、下げさせていただくことにしました。

こちらの内容に当たる部分も、新話(前ページ本編)で書きなおしておりますので、こちらを読む必要は特にありません。

一応掲載していた文章ですので、公開は続けるつもりですが、こちらの続きを書くことは一切ありませんので、その事をご了承ください。

序章予言より
第一話予言の時
1章 2章 3章
第二話運命の歯車は廻りはじめる
1章 2章 3章 4章

序章予言にて

―――幾年も昔の事、精霊の声を聴き万物を操りし我らの祖、この地に四つ国を築く。祖と同じ血を受け継ぎし者、個々の国主となる。祖は言う。千年の後、この地は衰退を迎えるであろう。時を同じくし、十六の星を数えた者、異界より来れる。その者、四つの国をも統べ、国を安寧へと導くであろうと。




 我らの祖はそう告げた時より、千の時が過ぎ、国も予言道理、衰退に向かっていた。過去の栄光がいまだ残るのは、四つ国でも、もう一国のみ。民は、国を救うであろう王を、待ち望んでいた。

 予言の時は迫る。もう幾許もせぬ内に、此処に、我らの女王が――― 来る。

第一話予言の刻
一章異界より現る

「……………え?」

 見慣れぬ部屋で目を覚ますなんて、なんて本の中の様な事なのか。彼女―――浦霞(うらか)美鈴(みすず)はそんな、不可解な状況の中、思った。

「私、さっきまで………」

 さっきまで学校に居た。美鈴は何の変哲もない、自分が通う公立高校に居たのだ。それがどういうことか、見たこともない広い部屋に佇む、無駄に広いベッドに寝かされてる。よく見なくても、明らかに庶民に手が届くはずもない、高級品だ。そんなところになぜか居る自分。そもそも、ここは何処なのか。

――――私はただ、学校(あそこ)で………

 そんな時、音も無く扉が開かれた。驚いてそちらを見ると、入ってきたのは若い男。

 目が合って、共にフリーズ。美鈴が固まっていると、相手はその緊張を解き、淡い微笑を浮かべる。

「お目覚めですか、良かった。ご気分は如何ですか?」

 長い黒髪を後ろで一つに縛った、整った顔の男性だ。なおも美鈴が固まっているものの、彼は、気にせず話し続ける。

「医師も呼んでおりますから、大丈夫ですよ。」

「え…………?」

 とても、優しい、優しい声。自分にこんなに優しく話しかけるのが、不思議でならない。微笑を浮かべる彼に、何も答えられなくなる。

 その間も、彼は金盥に湯を張っていた。湯気が淡く広がっては消えていく。

「…足をこちらへ。凍傷になりかけてますからね。」

 そう言って、彼女の足に優しく触れる。湯に足を浸けると、冷え切った足を温かみが包んだ。マッサージをする手も温かく、温もりがあった。

 優しく。温かく。忘れていた何かを思い出すようだ。

 足が温まった頃、彼は顔を上げ、手を伸ばす。それに、少し美鈴は身構え、目をギュッと閉じる。彼の手は美鈴の額に触れ、熱は下がりましたね…と、ほっとしたような声で呟いた。

 そして、美鈴が何か言おうとした時、イノシシでも駆けているのか、と言うような足音と共に、扉が粉砕しそうな勢いで開かれる。

「レイアス兄様!! 美鈴が目を覚ましたって本当!?」

 黒髪の美人だ。年のころは美鈴と同じぐらいだろうか。

――――あ、あれ? なんか……会ったこと、あるような…

 美鈴はその少女に既視感を感じた。しかし、こんなよく分からない所で、知人に会うとは思えない。きっと、気のせいだろう。と美鈴はその問題を置いておくことにした。

「ミーナ……。本当だが、もう少し静かに、入ってこれないのか…」

「あら、これでも扉を破壊しなかっただけ、マシじゃない?」

 そういうと、少女―――ミーナは美鈴に抱きつく。

「へぁ!?」

「ん〜? 八年ぶり、あっ、あっちでは四年だったわね。会いたかったわぁ、美鈴。」

「えっ? あ、あのちょっと…」

 少女は、キスでもしそうな様子だ。

 変なところで目が覚めたと思ったら、次はなんだ。と美鈴は見知らぬ少女に抱きしめられながら思った。

「ミーナ、本当にその人か? ―――とても、知り合いの反応には思えないんだが。」

 彼―――レイアスがそう言うのも無理なかった。美鈴は思いっきり怯えの表情を浮かべ、今すぐ魂が抜けてしまうのではないか、という表情だった。

「そんなわけ無いわ。私の目に狂いなんか―――本当ねぇ…でも、彼女よ。間違いないわ。」

 そして、ミーナはゆうに一拍おいてから、急に思い立ったように言った。

「あ、もしかして…私…忘れられてる? ………ひどいわ……。私を弄んでおいて、捨てるって言うの!!」

 よよよ、と泣き崩れる少女、ミーナに美鈴は呆気にとられる。しかし、それを聞き、美鈴の脳裏に何かが閃く。そして、何かが思い出される。

「え………? まさか、ミーナ? ………え、でも、柏木美奈って名前は…?」

「きゃ、良かった。思い出してくれたのね。――――― 間違えて貴女の記憶まで消しちゃったかと思ったわ。」

 最後の呟きに、美鈴は目を瞠る。

「…い、今記憶を消すって、言った……?」

「えっ……」

 ミーナはしまったという顔をして、口元を抑えた。そして、そろりと視線をずらして言う。

「あー……。話は、全員そろってからの方が…良いわよね? 兄様?」

「え? ああ、そりゃ―――」

「なら、呼んでくるわねー」

 飛ぶような速さで部屋を出る。

 …逃げた。レイアスは妹が出て行った扉を恨めし気に見つめた。

 残された二人の間に、気まずい沈黙が流れた。しばらくの後、その沈黙を破ったのは以外にも美鈴の方だった。

「えっとその……どうなってるんですか? 今。」

 レイアスは初めてまともに口をきいてもらえたと、しばし感動を覚え、美しい微笑を湛えながら、片膝をついて言った。

「その事についても、妹が弟達を呼んでき次第、御説明できると思います。陛下。申し遅れました。私、レイアス・ウィルナンシアと申します。この度は、陛下の護衛官を拝命いたしました。」

「陛下?」

 自分にとって、おおよそ似つかわしく無い呼び名。しかしその疑問は口に出す前に、扉が開かれ遮られた。

「兄様。連れてきたわ。」

 ミーナはそう言って、二人の兄弟と共に部屋に入った。




………この空気は…。

 美鈴は座ったまま、横に座るミーナに、話しかけることもできず、沈黙を守っていた。

 前に座る二人の男は、レイアスとミーナの兄弟だと、先に告げられた。茶髪の方がネルウェス・フィルデリート。金髪の方がオルテス・ルゼライト。それと、ミーナの方だが柏木美奈は偽名。ミーナも愛称で、本名は、ミーナレイス・ウィルナンシアと、言った。年は上から、レイアス、ネルウェス、ミーナ、オルテスの順らしい。四人は父親が違う―――とは言ってもレイアスとミーナは同じだが―――といった、兄弟だった。あまり似てないように見えるのも頷けると、美鈴は思った。

「ねぇ、ネル兄様。美鈴にここに来た理由、説明しても良い……?」

 ミーナが美鈴の髪を弄りながら、ネルウェスに問いかける。誰も何も言わない、この空気に耐えられなかったらしい。

「あぁ、いいよ。」

「…う…はい。わかりました。」

 ミーナは兄の明るい、>余所行きの笑顔に、寒気を感じた。

(うはぁ……。何、あの笑顔。怖いなぁ。)

 そんな、内心はさておき、ミーナはため息を一つ吐いた後、美鈴に向き直る。

「えっと、率直に言うと貴女がここに―――このソルレイトに来た理由は、個々の女王になって欲しい……いえ、なるために来たのよ。」

「………………は?」

 今、目の前の友人は、何と、言ったのか。

 意味が分からない。まさにそんな顔を美鈴はした。




 美鈴は今、地球上にはいない。地球のある次元とは、また別の次元にいた。ここは、その中でも、フィルデリート王国。ソルレイトとは、ここ、フィルデリートと周りの、ウィルナンシア、ルゼライト、レートリアの四王国を総称した名だ。これは…

 遥かなる太古。今から千年前、この四国を開拓した初代王は、精霊を崇め、魔法を使うこの世界で、精霊に愛され、膨大な魔力を有す人物だった。初代王の名はフィルデリート。彼には弟が二人、妹が一人いた。初代王は、このソルレイトを四つに分け、各弟妹を王位へと据えた。三人の弟妹の名は、ウィルナンシア、レートリア、ルゼライト、といった。その後、数年たった後の事だった。初代王は弟妹たちに告げた。千年後、国は衰退を迎え、異界より現れる王がこの四国を統一し、国に平穏をもたらす―――予言を告げた。

 それから、千年。長い、長い時が過ぎた―――




「で、その王が、貴女よ。美鈴。」

「はぁ………」

 理解できない。と美鈴は気のない返事を返した。とても自分の事が話されているとは思えずにいたのだ。この、分けの分からない部屋に居なければ、何を馬鹿な事をと、一蹴しているところだ。

「まぁ、いきなり言われるんだから、ムリも無いけれどね。でもね、私達は……ううん、この国の人たちは、貴女を待っていたのよ。」

「え…………?」

『この国の人たちは、貴女を待っていた』? どういう事か分からず、呆然とする。それに、ミーナは軽く息をつき、言った。

「言ったでしょう? 始祖の予言。あれはね、国民の殆どが子供の頃に、希望に満ちた話だ、って親に教えられるの。だから、国民は貴女の事を、希望の光の様に思っている。だから、貴女は、国民達が待っていたのよ。」

 ………存在を、認めてもらえた気がした。

 美鈴には『国民達が待っていた』と言うのは、ひどく、魅力的に聞こえた。しかし、他にもあったのだ理由が。それは、とても、逃げな理由。

―――ここに居れば、戻らないで済む……

「まぁ、今は休んで。もう少ししたら、フィルデリートの王位を継いでもらうから。戴冠式とかもあって忙しいわよー。」

 少し楽しそうにミーナが言った。

 そして、ふとミーナが息をつき、優しく美鈴を抱きしめる。―――母親のように。

 そして、耳元で「おかえり」と囁いた。




 時は穏やかに過ぎていく。あれから、―――ここに来てから一週間が過ぎた。最初の二日ほどで疲れはとれたし、美鈴自身は健康だと思っているが、周りは「安静」の一点張りで、あまり自由に行動はできなかった。しかしそのかわり、ミーナが何かと訪れ、窮屈さを感じることは無かった。しかし、ここに来てから一度もこの部屋から出たことがないのもどうか、とも感じていた。

 物思いに耽る美鈴を現実に引き戻したのは、ノックの音だった。

「はい?」

 時計を見るともうすぐ、お昼の12時―――時間は地球と変わらないようだ―――を指していた。いつもなら、そろそろミーナが「お昼よー。」と言いながら、昼食を持ってくる時間だ。

「失礼します。」

 扉の先に立つのは、レイアスだった。にこやかにしながらも、少し困った様な、こちらの反応を見る様な、顔だった。

「昼食をお持ちしました。」

「えっと……はい……」

 初日以降、レイアスがこの部屋を訪れたのは初めてだった。どうすれば良いのか分からなくて、美鈴は詰まり気味に答える。

「ミーナは忙しいとかで…、代理です。」

「……そう、ですか。」

 落胆したわけでは無かったが、少し、一人で取る事になるだろう昼食は、少し寂しく思えた。

 食事を寝台に腰掛ける美鈴に渡して、レイアスは部屋を出ようとした。しかし、その寸前で美鈴が彼の裾を引く。それに、驚きながらも彼は足を止め、振り向いた。

「あ……。ごめんなさい。えっと、何でもないです。行ってください。」

「……食べている間、話し相手にでもなりましょうか?」

 驚いた。そのまま行ってしまうと、思っていたから。

 美鈴は、一瞬答えに困った。

「え……あ、はい…。ありがとうございます。レイアスさん」

「構いませんよ、貴女の護衛も仕事ですから。―――そうですね、ただ…私の事はレイアス、と呼び捨てで。それから、敬語も要りません。」

「え……でも……。わ、わかった―――レイアス。」

 レイアスは、美鈴の隣に腰掛けた。

 やはり、世間体ってものがあるのか…?、と美鈴は思った。美鈴は女王になる―――らしい。肩書きだけを考えれば、敬語を使うのは、おかしい気がする。が、美鈴は、それを自分に当てはめることが出来なかった。

「「……………」」

(わっ、話題は…………)

 一人で食べるのは寂しいとは思っていた、美鈴だが、実際二人なら二人で、どうしたら良いか分からないのだった。

 そして努力も空しく、言葉はいっこうに出てこない。沈黙は、美鈴が食事を終える頃まで続いた。

「貴女の居た世界は、どんな所だったんですか?」

 レイアスがポツリと呟く。

「………わ、たしの…?」

「えぇ、そうです。」

 彼は、話題のいったんに、何気なく発した言葉なんだろう。しかし、それは美鈴にとって、恐ろしい記憶を呼び起こす、引き金となった。喉元に苦い物が込み上げるのを感じた。無意識に胸元を手で押さえる。唇が戦慄き、身体が震えた。

「……陛下?」

 レイアスが手を伸ばす。その瞬間、美鈴はキッと顔をあげ叫ぶ。そして、その手を払いのける。

「さわらないでっ!!」

 目から雫が流れ落ちる。そこで、美鈴は理性を取り戻す。

「―――! あっ……。ごめん、なさい………」

「……何かあったんですか。」

 その言葉に、美鈴は俯き、ポツリ、ポツリと喋りだした。




 最初は目の色だった。黒目、黒髪の日本人。その中に居る青の瞳はやはり目立つものだった。そのうちに、無視がはじまる。最初は少人数でもそのうち、クラス全体に広がって、なのに、先生の前だけは、みんな仲良くする。私を仲間に入れる。でも、それだけ。また、悪夢が来る。休み時間はこの世で一番嫌いだ。

 中学でも同じ。学校の場所が変わっただけ。状況は変わらない。でも、そんな私にも神様は少しだけ力を抜く期間をくれた。彼女―――ミーナが来た。けれど、半年たつと、神様は私を捨て、天使を取り上げた。

 人は皆、敵だと思った。誰も信用できなかった。そして、無視だけではなくなった。水をかけられた。物が無くなった。突き飛ばされた。首を絞められた。殺される、と思った。




「―――なら、いっそ、いっそ殺してほしかった。でも、でも、殺してくれなかった。だから、死のうと思った。だから、落ちたの。屋上から。そしたら、ここに居た、の」

 大粒の涙を流しながら、語る美鈴を、レイアスはそっと傍に寄せた。そして、耳元で囁く様に言う。

「貴女はここに居て良いんです。いえ、居てもらわなければ困ります―――― 美鈴。」

 美鈴はそのまま静かに泣き続けた。

――――心が、少しだけ軽くなった気がした。




「この国は四精霊を、神と等しき存在として、崇めていて……。その四精霊は、えっと…………。」

「火の精、サラマンダー。風の精、シルフ。土の精、ノーム。そして、水の精、ウンディーネ。さっきも言ったでしょう。」

「うっ、ごめんなさい……。」

 さっきから、何回このやり取りをしたか解らない。美鈴は、小さくため息を吐いた。美鈴に、外出許可が下りて数日が経った。まず手始めに、この国、フィルデリート国について勉強することにした美鈴は、初日以来会った事が無かったが、ミーナ伝いでネルウェスを講師にとった。

 彼は、ネルウェスの父親である、フィルデリート王を、補佐―――正確には王は政治に疎く、ほぼ彼が国を治めていたようなものだが―――をしていたため、この国に一番詳しいものと言っても過言ではなかった。しかし、美鈴はいまだフィルデリートの王位に即位しておらず、彼が国を治めるという、図式は変わりがないため、本当は、美鈴の講師などしている暇がないくらい忙しいはずだった。

「ごめんなさい、忙しいのに……。」

「そう、思うのなら早く覚えてください。―――まぁ、今のところは心配に及びません。信頼のおける者に託してきましたから。」

「そ、そう。」

 『信頼のおける者に託してきた』という、被害を被ったのは、言うまでも無く、美鈴の意を伝えに行ったミーナだ。

「四精霊はこのフィルデリートだけでなく、ソルレイトの属するウィルナンシア、ルゼライト、レートリアでも、もちろん信仰があり、周りの国の多く……代表的なのはレートリアと国境を接するミュリネル王国。その国は少し、ソルレイトと意味は違いますが。」

「意味?」

「ミュリネルでは、精霊を神の御心を伝える使臣だ、と言う考えを持っています。ですが、先ほども言ったように、ソルレイトでは、精霊は神と同格だと考えています。…それから、ソルレイトで最も信仰が篤いのは、レートリア、ですね。」

 美鈴はノートを取りながら話を聞いていた。聞く方はスムーズに聞き取れるが、文字までは追いつかず、公用語を使えれば良いのだが、未だ日本語である。

「どうして? なんで、レートリアが一番信仰が篤いの?」

「それは、始祖の時代に、話が遡ります。始祖、フィルデリート王の妹姫であり、レートリアの初代王である、レートリア姫が四精霊と、言葉を交わせたと言う言い伝えのためです。ですから、レートリア姫のように、四精霊と言葉を交わせるものは、今でも稀に生まれるようです。」

「へぇ……。」

 美鈴は、一旦ペンを置き、置いてある冷めてしまった紅茶を、一口飲んだ。覚える事が多く、草臥れたが、学校で習う社会、歴史よりはよほど興味が持てた。テストに出ると言う。プレッシャーを感じないせいだろうか。

「では、次にソルレイトに伝わる七宝について、の話に行きましょうか。」

「七宝…?」

「ソルレイトに伝わる、七つの宝。始祖の時代、始祖達と三人の偉大な賢者よって、創られたとされているものです。そのうち四つは、各王宮に密かに伝えられています。それを受け継ぐことが、王となる証となります。ただ……」

 ネルウェスは、ここで一旦言葉を切った。

「あと、三つの行方は知れていません。始祖の時代、有力な権力者に渡したとも、現存していないとも、………そもそも、七つも創られておらず、もとから四つしか無かった、とも言われています。」

「そうなの? じゃあ、なぜ七つの宝、七宝と呼ばれているの?」

「過去の文献でそのように書かれているからです。しかし、それを見たというものはいません。それに、七宝にどのような力があるかも分かっていません。」

「………。」

 何と答えたら良いか分からなかった美鈴は、無言で紅茶を啜った。

「……今日はそろそろ、お開きにしますか。貴女もお疲れのようですし、代理に任せっぱなしも、あれですしね。」

 その沈黙を何ととったのか、ネルウェスはそう言った。そして、さっさと出て行こうとした。

「あっ、ありがとうございました。」

 美鈴は彼が出て行く寸前に、慌てて言ったので、椅子に躓きそうになる。

「いえ、貴女は吸収が早いので助かりますよ。」

 ネルウェスはそう言うと、軽く会釈して出て行った。何気ない褒め言葉に、少し感動する。

 そして、ドアの所には。

「………。あっ、レイアス…。」

「終わりました?」

 レイアスがドアに手を掛けながら、美鈴に、問いかけた。彼は、美鈴の護衛のため、ドアの外に控えていたようだ。最近は、もっぱら彼の案内で、城の造りを覚えるための散歩が、午後の日課になっていた。

「うん。今日は、どこに行くの?」

「そうですね。庭はどうです? 裏庭には、池がありますよ。」

 午後はそこに行くことになった。




「景気はどうだい。ミーナ?」

「兄様! 私を過労死させる気ですか?!」

 ネルウェスが執務室に戻ってくると、そこに代理として座っていたミーナは、涙目で食ってかかった。朝からずっと、ここに軟禁状態で仕事をさせられている。

「こんなもので、音を上げられたら、私は既に何千回死んでるか、分からないな。」

「兄様は妹が可愛くないんだわ…。絶対そうよ……。」

 ネルウェスが、軽くあしらう間にも、ミーナは文句を言い続けている。

 このやり取りは、ここ数日ずっとしているので、見慣れた光景となってきた。

「ぶつくさ言ってないで、今日は何かあったか?」

 そこで、ミーナがさっと顔色を変えた。そして、少し俯き、声を落として言う。

「―――それが…」

 その報告を聞いたネルウェスは、めずらしく、表情を変えた。




「城の裏には森があったの……?」

 見渡す限り、木、木、木だった。

「広いですからね、此処の庭は。幼い頃はここで、いろいろしましたよ。冬は、雪も積もりますし。もう、三十年ぐらい前…ですけどね。」

「へぇ……。―――えっ?……」

 今、とても計算が合わないことを聞いたような……。美鈴は思わず、足を止めて聞き返した。

「三十年……?」

 レイアスの見た目は二十歳前後に見える。レイアスは、目を丸くしている美鈴を見て、何か思い当ったように、呟いた。

「あ……そういえば、貴女の居た世界では、こちらより、倍ほど早く、老いるそうですね。四十代と思った人が、二十台でびっくりした、とミーナが帰って来て言ってましたよ。」

「つまり、見た目の倍の年齢だと思えばいいのかしら…?」

「そのようですね。」

 忘れそうだ、美鈴が思う。因みに、子供の頃は、差が少ないというミーナの証言もあった。

「少し、寒いね…。」

 森の中は、日光が遮られ、少し肌寒い。今日は日もあり暖かい日だったが、森の中では感じることが出来ない。先ほどから、ゆっくりではあるが歩いているにも拘らず、身体も暖まってこない、それに景色に変化もなかった。

「美鈴、寒いのなら上着を。」

「え? あ、いいの。そこまで寒くないから。」

「そうですか。無理はしないでくださいね。」

 美鈴は、レイアスの優しい声に安心して答える。

「うん。」

 会って間もないにもかかわらず、心を許せているのが不思議だった。二人は自然に、歩調を合わせて歩く。人に近づくことさえ、恐ろしかったのに、人と並んで歩いていることは、とても奇妙に思えた。しかし、嫌な気分ではなかった。

 それから数分歩いた時、美鈴がふと、足を止めた。

「美鈴?」

「―――何か、何か感じる……。」

 それだけ言うと美鈴は、ゆっくりと歩きだした。しかしそれは、どこか心此処に非ず、といったような感じで、覚束ない足取りでもあった。

 そして、木が無くなり、池が見えてきた。池と言うには大きく、湖と言うには少し小さい、そんな大きさだった。

「………?」

 それは、レイアスにとって幼い頃から見ていた、変わらない景色。しかし、今日は少し違った。光っていたのだ―――池が。

 美鈴は覚束ない足取りのまま、池に向かって歩く。そして、池に足を踏み込んだ。しかし、それは水に沈むことなく、水に小さな波紋を作っただけで、そのまま歩いて行った。

 そして、池の中心で足を止めた。そして、―――

「なっ!……」

 そして、水は美鈴の周りに覆いかぶさる様に立ち上り、彼女と共に、水面下へと消えていく。たちまち彼女の姿は見えなくなった。聞こえるのは微かな水音だけとなった。




「―――何か、何か感じる……。」

 美鈴はそう言った後、自分の身体が、自分の身体なようでそうじゃないような、不思議な感覚に襲われた。頭がぼーっとし、何も考える事が出来なくなった。

 そして、足が自然に動き、気づくと池に足を踏み出していた。落ちると思ったのに、なぜか水面を歩き池の中央に来ていた。

 それでも、思考は晴れず、水に囲まれていた。

 意識は遠くへ飛んでいった―――




「―――ん……? ここ、どこ?」

 美鈴は目を覚ました。頭がぼーっとしたような感覚はいつの間にか無くなっていて、今はむしろ、感覚が冴え渡る様に感じた。

「あれから、どうなったんだっけ……? ここ……どこ? なんか、現実味がないところ…」

 美鈴が居た場所は、まるで異空間とでもいったらよいのか、と言うような場所だった。一番近いもので言うなら、まるで、水の壁に閉じ込められているようだった。

 拙い記憶によると、池の中のはず、しかしそこは、限りなく続く世界が広がっていた。

「わが、主―――」

「だ、誰!?」

 突然、頭の中に声が響く。美しい女性の声だ。

「わが、主。私の守護を受けし者。始祖以来の四精霊の主。」

 美鈴は後ろに振り返った。すると、そこには美しい女性が立っていた。薄い水色の髪の、慈愛に満ちた笑顔の女性だった。

「美鈴―――待っていたわ。あなたがこの世界に来るのを。」

 女性はうっすらと、極上の笑みを浮かべる。そして、跪いた。

「私は四精霊の一人、ウンディーネ。私は貴女に忠誠を誓い、守護する存在。」

 女性―――ウンディーネは軽く頷いた。

「………守護?」

「そう。此処の人間、いえ、この世の人間は全て、私たちの守護のもとにある。貴女は水の守護を受けるもの。そし―――」

「いつまで、堅っ苦しい、喋りしてるの―――!!」

 突然別の声が聞こえ、ウンディーネの背中に少女が現れた。16,7ほどの姿をした少女は不満な様子で、ウンディーネに盾突く。

「ずるい、ウンディー! ボクだって美鈴と話したいのに!」

 そういって、少女はウンディーネの背中にのしかかり、二人一緒に倒れた。それに、ウンディーネは下から叫んだ。

「何するのよ。シルフィー! 殺す気!?」

「精霊は死なないもーん」

 目の前の光景に呆気を取られる、美鈴の前に少女は飛んでいき、言った。

「初めまして、美鈴。四精霊、風の守護者のシルフです。やっと、お話しできたね。でも、ぼくが見えるってことは、やっぱりすごい素質だよね。キャー、もう。可愛いなぁ」

 そう言って、美鈴に思いっきり抱き着く。美鈴は抱き着かれどうしたら良いのか分からず、救いを求めてウンディーネを見た。ウンディーネは、やれやれと言った風に立ち上がり、シルフを諌める。

「ほどほどにしてあげなさいよ。ほら、困ってるわ。」

 それでもスキンシップを止めないシルフに、ウンディーネは諦めた風に、ため息交じりで言った。

「まぁ、良いわ。嫌なら振りほどいても良いからね、美鈴。では、続きだけど…。」

「ちょっ、ちょっと待って? えっと、四精霊って……あの? レートリア姫が姿を見ることが出来たっていう…。」

 居るとは聞いていたけれど、こんなにポンポン現れていいものか…と美鈴は思いながら、ぼそぼそと呟く。

「そうだけど、少し間違っているわ。私たちを見る事が出来るほどの、魔力を持っていたのは、レートリアだけじゃないわ。むしろ、私達全員が見えたのは、始祖フィルデリートのみ、レートリアが見る事がかなったのは、自分の守護者、ノームだけ。――――そうよね、ノーム、サラ。」

「そうだよ、レートリアが見る事が出来たのは、僕だけ。初めまして、美鈴。地の守護者、ノームです。こっちは、火の守護者、サラマンダーです。」

「え、あ、どうもです。」

 ウンディーネの後ろに、16,7の少年と、燃える様な赤い髪の男性が、現れる。喋ったのは、16,7の少年の方だ。

 続々と現れる、精霊達。精霊達を見たり、言葉を交わせたりできるのは、『今でも稀に生まれる』では、無かったか。美鈴は少し腑に落ちなかったが、とりあえず、話を聞くことにした。

 再び、ウンディーネが話し始める。

「要はね、私たちは世界に干渉しない程度に、人間たちを守る義務があるの。普通は、一人につき、私たちのうちから一人。でもね、たまーに、例外が居るの。始祖、フィルデリートや、――――そう、美鈴。貴女。貴女は私達を従えるだけの、魔力を持っているの。だから私達は、貴女に無条件で、力を貸す事が出来る。だから、水だけでなく、火、風、地、全ての力を使うことが出来る。」

 ウンディーネはそこで少し言葉を切ると、少し目を伏せる。そして、美鈴の目を真っ直ぐ見て言った。

「だから、貴女はこの世界を、手に入れる事だって、滅ぼしてしまう事だって、できるの。――――でもね、貴女はとても、この世界に愛されているわ。貴女がこの世界から、二度と居なくなる時は、きっと世界も泣くわね。」

 そんなに魔力があるの?とか、いっぺんに言われたから、覚えられない。とか、言いたい事は結構あったけど、結局口にしたのは、そのどれでもなく。

「そんなに………? 世界なんてものから愛されているの? ―――私が……。」

 美鈴は戸惑っている様な、しかし、仄かに嬉しさを滲ませた様な声で呟いた。

「ふふ。さて、そろそろ戻してあげましょうか。水上の彼が心配そうだわ。」

「え……?」

 そう呟くなり、四人は姿を消し、美鈴は。

 水の中。

――――戻し方、雑っ!!!

 落とされたというよりは、気付いたら水の中、突然今までいた場所が、水中になったのだ。

 深いわけでは無いが、突然水の中に入ってしまった、美鈴には、結構な距離がある様に思えた。思い切って一蹴りすると、ようやく、水面に出た。

「―――――かはっ、けほっけほっ。うぅ、酷い目にあった……。」

 落ち着いてくると、遠くから声が聞こえる。

「――――すず、美鈴!」

 切羽詰っているような声だった。そういえば、水上の彼が心配してるって、言ってたなぁと美鈴は独りごちる。

「無事ですか!?」

 美鈴は大声出せるんだと、思いながら、無事だという事を、表すために手を振った。人並みに泳げて良かったと、美鈴は激しく思った。

「ちょっと待っててください!」

 人を呼びに行くのかな、と美鈴が思ったのもつかの間、レイアスが、美鈴の所からでも分かる程の冷気を呼びだしたのは、一瞬の事だった。

 レイアスが池に一歩足を踏み出す。その足元は、水から氷へと変化を遂げた。レイアスはどんどん、足を進める。その足元は、氷に覆われて行った。

 美鈴が呆然と見ていると、もう、手の届くところに来ている。

「美鈴、手を。」

 目の前の彼は、優しげに微笑む。美鈴は、やはり、恐る恐る手を伸ばした。

「あ、ありがとう。」

「ずぶ濡れですね。」

 レイアスはそう言うと、美鈴に手を翳す。美鈴がそれを確認したのと、美鈴の体から、水気が無くなったのは、ほぼ同時だった。

「これで良いですね。行きましょうか。」

「え、うん。」

 レイアスに手を引かれ、淵へと戻る。二人が歩いた所から、氷は音も無く崩れていった。

 美鈴は、それを見ながら歩いていく。とても、儚さを感じた。

 淵に着くと、ポソリと呟くように、尋ねる。

「さっきのが……魔法?」

「見た事無かったんですか。」

 レイアスが少し驚いたように言う。元居た世界には無かったと言うと、さらに驚かれた。どうやら、ミーナに聞いていなかったらしい。

「私にもあるの?」

「えぇ、おそらく。」

 なんとなくだが、精霊達の事は言わなかった。言ってはダメな気がした。




 今日は部屋(最初に居た時の部屋が、自室だったらしい)で、紅茶片手に、今日の講義の、復習をしている。

「やっぱ、ティーバックとは違うなぁ。」

 紅茶を一口飲み言う。その調子で、カップに入っている分を、飲み干した。

 そして、もう一度ノートに向かう。つけペンにはまだ慣れない。それでも、ここ半月ほどで少しは上手く(マシに)なったと、思っている。

 しかしその瞬間、その羽ペンは指からすり抜け、黒いしみを作った。

「え…………。」

 そして、その瞬間には激しい眠気が襲い、視界がぶれていた、そして体が傾ぎ、その弾みでティーポットが落ち、大きい砕ける音と熱い飛沫が飛んだ。

「美鈴!?」

 その音を聞き、レイアスが部屋に入った時、もう既に彼女の姿は消えていた。

第一話予言の刻
二章姫誘拐

「面倒なことになった…」

 レイアスが一人ごちるも、周りに溢れる蹄の音に掻き消される。

―――― 一人の少女が連れ去られた。

 これだけなら、国を揺るがしかねない程の、大事ではない。しかしその少女は、美鈴は、まだ正式に王位を戴いてこそいないものの、彼女が予言通り女王の座に就き、いずれはソルレイトを統べなければならないのは、誰の目にも明白だ。そんな少女が、連れ去られたことは由々しき事態だ。しかし、それだけではない。「陛下が連れ去られた」という事が、城に知れ渡った時、明らかに空気が一変した。掴み様のない不安と焦燥。それが人々を支配した。彼女の素質が、この様な状況で明らかになった。

 焦りが自然と込み上げる。レイアスは、毅然と立っている事が、こんなにも難しいと感じたのは、初めてかもしれない。とさえ、感じていた。




 美鈴が連れ去られた少し後、一人のメイドが、ネルウェスの自室へ呼ばれていた。

「紅茶には、睡眠薬が入っていた。これがどういう事か分かるか。メイリス。」

 ネルウェスは目の前のメイドに静かに問いかけた。

 美鈴は、城内の何処にも居なかった。あったのは、机に流麗な文字で「姫は預かった。」のみ。そして、美鈴が飲んでいた紅茶に、睡眠薬が入っていた事が判明したのだ。その紅茶を持って行ったのは、今、ネルウェスの目の前に毅然と立つメイド、メイリスであった。

「もう一度聞く。どういう事か分かるか。」

「いいえ、仰る意味が解りません。」

「―――判った。下がれ。」

 メイリスは一礼して、出て行った。彼女は弁明するでもなく、ただ、いいえ(No)、とだけ答えた。嘘を言っている様子は無かった。ネルウェスは密かに、自白を促す魔法を使っていたし、相手も、それには気づいていない様子だった。

 しかし、紅茶を運んだのは、確かに彼女だ。複数の者から、証言を得ているし、運んだところは実際、彼自身も見ていた。

―――何か、ある気がする。

 これは単なるカンにすぎないが、こういう時のカンは大体当たる事を、経験的に知っていた。しかし、その正体は掴めない。

「ネル、居場所が分かった。」

「……レイ兄上。」

 リリアスが思考を巡らせ始めた時、扉が開かれ、レイアスが部屋に入ってきた。居場所とは当然美鈴の事だ。

「レートリアの方の国境に向かってるらしい。」

「レートリア? ―――ロイレンスでなく? ……いや、妥当なところでしょうか。」

 フィルデリート、ルゼライトと国境を接する、東の大国ロイレンス帝国。ソルレイトの諸国と長い間、緊迫した状態にある。女王になる彼女を亡き者とすれば、国内は確実に混乱し、ロイレンスにとって、やり易い状態になる。しかし、それは失敗したときのリスクが高すぎる。そのため、ロイレンスほどの国が、そんな博打に出るとは考え辛かった。さらに、ソルレイトの国境を越えるのは比較的楽なうえ、王家の子供が兄弟と言う、繋がりがある他の三国より、レートリアに行くのは妥当な考えであった。

「ここは、私が行く。お前は、彼女の不在を悟られないように、しておいてくれ。」

「―――それは、構いませんが…。私達の末弟が、盗み聞きをしているようです。どうします。」

 レイアスは気配に気付きながらも、敢えて黙っていたのだが、ネルウェスは、見逃さない事にしたらしい。

オルテスは最後が疑問形で無い事に、薄ら寒く思いながら、ドアの陰から姿を現す。そして、少し閉口するも、意を決したように、二人の兄に向き直る。

「………兄上。僕も連れて行ってください。」




 というわけで、想定外の人数を加える事となった(とは言っても、計五人程度)。今は、連絡も兼ねて休憩中だ。

「オルト。着いて来れるか? 大丈夫?」

 馬を撫でていたオルテスに、レイアスは話しかけた。何かと気に掛けるのはやはり、末の弟が心配だからだろう。オルテスは、兄に掛けられたその言葉に、満面の笑みを返し、言う。

「勿論です。自分から着いて行くと言ったのですから、こんな所で音を上げられませんよ。」

 その屈託の無い笑みに、レイアスは少し笑みを返す。レイアスはオルテスの、この、自分たち兄弟の末の弟なのが信じられないほどの、正直さと素直さを、少し羨ましく思っていた。

「それにしても、馬達に普段より、負荷の掛かり方が少ない様な気がしますね…。何かしてるんですか?」

 オルテスが尋ねる。

 彼は、兄達が剣、魔法と優秀なので、あまり注目される事は無かったが、環境の変化、特に動植物の感情や状態の変化に関しては、ずば抜けた察知能力があった。そのため、普通の人々が分からない様な、微細な変化でも感知することが出来た。

「さすがだな。それは、―――あれが見えるか?」

 そう言って、レイアスは河原の方を指差す。その先に居るのは、一人の女性。それを見、オルテスは初めて、今まであまりにも自然で、気付く事が出来なかったが、美しい旋律が彼女の口から紡がれている事に気付いた。そして理解する。馬達も、そして自分達も、ここまであまり、体力を消費していない、その理由に。

「あの歌が……。まるであたり一帯を、優しいベールで包んで居るようですね。」

 そこにあるのが、当たり前かの様に感じる、不思議な歌。それは、声を張り上げて歌っているわけでは無いのに、自然と耳に届いた。

「珍しいですね。歌で魔術を発生させるなんて。」

 普通は、何も言わないもしくは、詠唱する程度だ。詠唱といっても、意識を集中させる手段に過ぎない。しかし彼女は、歌自身に魔力をのせていた。

「彼女は誰ですか?」

「ミューだよ。ミュー・オーリンス。今回は急で、何があるか分からなかったから、うちの救護班から、一人来てるんだよ。」

「へぇ…。」

 気付くと、ミューがこちらに向かって、歩いてきていた。

「何か、分かったか?」

 レイアスが、彼女に問いかける。ミューは、オルテスに、微笑みながら軽く会釈して、レイアスに向き言った。

「陛下の居場所が分かりました。そろそろ出ますか、閣下?」

「そうだな。」




「……………。」

 美鈴が目を覚ますとそこは、荷馬車と思しき所の中だった。今度はえらく揺れる所で目を覚ましたな…と、美鈴は、この世界に来た日を思い出しながら思った。体を起こすと、目の前に燃えるような赤い髪を、頭の上の方で縛った男が居た。左目の眼帯の下からは、傷が少し覗いている。その男は、若干、呆れた視線をこちらに投げかけている。

「………。もっとさ、ワー!とか、キャーッ!とか、貴方誰なの?!とか、無いん?」

 呆れたような視線を変える事無く、呟く様に言った。

 言われた美鈴は、彼のまるでワックスで固めたかの様な頭に、気を取られて、あまり聞いていない。

「――――え? あ、いや、今更かな…って。で、あなた誰ですか。」

 いまいち、会話が噛み合っていないと思いつつ、彼が答える。

「誘拐犯。って言ったらお分かり?」

 彼はこれで、喚きだされるかなと、少し面倒に思った。しかしその、期待は見事に打ち砕かれる事となった。

「…へぇ。――――誰の?」

 あまりにも冷静。まるで世間話のテンション。

その態度に彼は、一瞬固まり、次に額を抑えた。そして、呻く様に言う。

「………あんたのだよ…。」

 これで、何かリアクションがあると思われた。むしろ、あってくれと祈るレベルだったのだが、脆くもその願いは打ち砕かれ、サラリと返された。

「ふぅん。何のために?」

 ここまで冷静だと、ある意味心配になってくる。だからか、項垂れた様に言った。

「熱でもあんのかよ……―――理由ぐらい分かるだろ、女王陛下。」

 前半は独り言のようにボソッ言う。しかし、半ば本気で心配に思っている。そして、チラと目の前の少女を見た。

 初めて見た時から思っていた事だったのだが、『女王誘拐』で、連れて来られる人物にしては、余りにも若い。

「あぁ、そうゆう事か。政略とかのあれか。…熱あんのかって………仕方ないじゃない。ここ来たとこなんだから。」

 美鈴が、むくれる様に言うが、目の前では、顔を引きつらせ、そっちじゃねー!!と心の中で盛大に突っ込んでいる。しかし、突っ込む前に、美鈴が次の質問をする。

「で、あなたの名前は? まだ聞いてませんよ。」

 名前を聞かれると思っていなかった彼は、少し驚いて、美鈴の顔を見た。

 そして、溜息交じりで、しかし少し笑みを混ぜて答える。

「…ガルトだよ。あんたには一生かなわない気がするな、嬢ちゃん。」

 美鈴は、嬢ちゃん呼びに、少し新鮮さを覚えはしたが、嫌な気はしなかった。

「じゃあ、ガルトさん。今何処に向かってるんですか?」

「今か? ちょっと待てよ。―――ああ、それと、畏まらなくて良いから。さん付けとか、敬語とかいらんから。」

 少し離れたところに積んであった、荷物の所へ歩きながら、何でも無い事の様に、片手間で付け足す。

 ガルトは説明しやすいようにか、ごそごそと荷物を漁り、地図を引っ張り出してきた。

「…そう? じゃあ、そうするけど。」

「地図読めるか?」

 そう言って、引っ張り出してきた地図を、美鈴の前に広げた。少し黄ばみ、端々が細かく破れている。それは、この紙が古い紙だという事を物語っている。所々、擦れたり、汚れたりで読めない所もあった。

 美鈴はその地図を眺め、自身なさげに 多分 と呟いた。

 よく見ると美鈴の拙い語彙力でも、何とかこの地図が、ソルレイトを描いている事を、読み取る事が出来た。

 地図によると、フィルデリートは、北は海、南はレートリア、東はルゼライト、西はウィルナンシアと接している。王都は中心より少し、南西にあった。

「今は、レートリアの国境に向かってる。」

 そう言いながら、ガルトはフィルデリートの王都と、レートリアの王都を、指で結んだ。

「で、今日はここまで行くのが目標。」

 彼が指したのは、フィルデリートの王都から、さほど離れていない森の中。もちろん、フィルデリート国内だった。

「ここに、俺らを雇ってる奴がいて、そいつと合流して、明日には、魔法で国境を越えるらしい。」

 そう言って、彼は美鈴の顔を見る。美鈴が頷くと、ガルトは地図を畳み、鞄にしまう。

「ま、暴れなければ、危害を加える事は無いと思うから、その辺は安心しろよ。」

「うん。」

 不思議と、元から危害を加えられる不安は、感じていなかった。




「……………。」

 こじんまりした建物に連れてこられてから、早数時間。小さいながらも、すっきりしたシンプルな部屋に軟禁され、それ以降誰も訪ねてすら来なかった。てっきり、鉄格子の中に拘禁かと思い、身構えていた美鈴は、ホッとしつつも、少し肩透かしを食らった気分だった。

 手足は自由なものの、窓には鍵が掛けられ、扉は印が刻まれ、封印の魔法がかけてあるうえ、部屋には必要最低限の家具以外は何も無く、暇つぶしになりそうなものも無い。

 すりガラス越しの窓からは、日が沈もうとしている事しか分からなかった。

「よ、夕食持ってきたぜ。」

 呑気な声を発しながら、ガルトが扉を開けた。それと共に、美味しそうな匂いが鼻腔を擽る。焼きたてのパンとトマトベースのスープの様だった。

「あ、ありがとう。」

 それを見た瞬間、今まで忘れていた空腹が襲ってきた。

「こんなけで悪いな。」

「そんな、十分だよ。大丈夫。」

 釘が打てそうな固いパンに、味の薄い冷めたスープを予想していたなど、とても言えなかった。

 一口スープを啜ると、トマトの優しい味が、口に広がった。

「―――おいしい。…これ、どうやって作ってるの?」

「ここから出たら、また作ってやるよ。」

「ここから出たら?」

 美鈴は目を見開いて、ガルトを見上げる。誘拐されたのだから、そう簡単には出れないと思っていたのだった。

 ガルトは、しばし固まり、それから、しどろもどろと言い訳めいたことを言い始める。

「―――え、あぁ、そりゃ、その、あれだ、誰かが姫奪還に来てるだろ?」

「…………そうね。」

 明らかにおかしい行動だったものの、美鈴はそれ以上言及しなかった。

 それに、ホッとしたようにガルトは、欠伸を一つすると、言った。

「さーてと。さっさと食べろよ。食器を持って帰んなきゃなんねぇから。」

 そう言って、もう一度欠伸をして、机に突っ伏して眠り始めた。

 美鈴は、小さな鍋ごと持って来られていたスープを、もう一杯おかわりし、トマトの甘味と酸味、それから、入っている野菜の味を楽しんだ。

 スープをひとしきり楽しんだ後、ガルトが目覚めるのを待ちつつ、お茶を飲んでいた時だった。

 突然ガルトが顔を上げ、扉を睨みつける。程無くして、足音がコツコツと聞こえてきた。足音はどんどん大きくなり、部屋の前で止んだ。

 ノックの音と共に、刻まれていた印が消え、扉が開かれた。

 開かれた扉の先に立つ男は、マントを目深に被り、顔すら見えない。男は低く、来い。とだけ言った。

 ガルトは、顔をしかめ小さく舌打ちすると、立ち上がって、美鈴に向かって言った。

「悪い。一緒に来てくれ。」

 その声には、何処か不安が入り混じっていた。

 ガルトは聞こえない程の声で、ひとりごちる。

「間に合わなかったか…。」

 呟きは、窓の外のそのまた先へ。

第一話予言の刻
三章魔法と過去と

 あれから馬を走らせ数時間。東の空に輝いていた太陽も、赤く染まりはじめている。すぐに、辺りは暗くなるだろう。

 馬車で馬を振り切ることは出来ない。

 山奥に建てられた邸宅。その周りには、結界が張ってあったが、それほど強固なものでもなかった。ここまで、予定どうりに事が進んでいる。ここで追いつくであろうことも、予定通り。焦る気持ちは当然あったが。しかし、予定通りに事が進んでいる事は、少なからず安堵を与える。

 馬を走らせる。感覚が研ぎ澄まされていくような感じがした。

 この先に彼女がいる。訳も無く、それは次第に確信へと変わる。

 異変を感じたのは、まさにその時だった。この場にいるほとんどが、その異変を感じ取った。何が。というわけでは無い。ただ、何か大きな力が…。

「―――ッ、急ぐぞ!」

 レイアスの声で、さらに走るスピードを上げた。

 目的の場所が見えてくる。それと同時に、微かな血の臭いが漂ってきた。近づくにつれて、キツくなっていく錆の様な臭い。嫌な胸騒ぎがした。

「……美鈴。」

 知らず知らずの内に、呟きが零れた。

 レイアスは、馬を傍らの木に繋ぎ、建物を見上げた。薄ら寒いものを感じ、腰にある剣を見つめた。

 レイアスの後方では、部下達も突入の準備をしていた。

「きゃっ。」

 ミューは、どんどんと気分が悪くなっているのを感じていた。その結果、足が縺れ、馬から落下した。

「だいじょぶ?」

 ミューは体の痛みを覚悟していたが、痛みはやって来ず、代わりに、下方から声が聞こえた。

 そろりと目を開けると、下に人がいる。

「? ―――えっ、す、すみません、オルテス閣下!」

 下には、オルテスの姿があった。抱きとめられたら格好良かったのだが、残念ながら下敷きになっている。

「大丈夫みたいだね。良かった。――――けど、そろそろ退いてくれると、嬉しいな…。」

「あっ、御免なさい。……それと、有難うございました。」

 ミューに退いてもらったオルテスは、服についた土をはらって立ち上がると、座り込んだままのミューの隣に、また屈み込む。

「気分悪いんでしょ、大丈夫? ――――慣れないものだね、何年戦場にいても…。」

「―――!」

 何でもない事の様に呟く、オルテスの言葉。その続きは、ミューには痛いほど解った。死者の、苦痛と憎しみの叫び。人とは違う性質の魔力を持って生まれてしまったために、聞こえてくる悲しきその叫び声に、幾度と無くミューは、気が狂いそうな思いをした。誰にも聞こえないはずの悲しみの歌

 戦地では、気が遠くなるほど聞いた。しかし、その事を他人に理解してもらったことなど、一度もなかった。聞こえないのだ。

 それなのに、目の前の彼には聞こえるというのか。と、信じられない思いで、目の前の彼を見つめた。

「僕はそんなに、魔力に突出してるわけじゃないんだけどね。――――こういうのだけは、昔から聞こえるんだ。」

 不思議だよね。そう言って笑いながら立ち、手を差し出した。

 未だ驚きはさめなかったが、少し親近感が湧いた気がした。そして、ミューは微かに微笑んで、その手を取った。

「―――――ありがとうございます。」

 そんなことをしていたら、遠くからレイアスの声が聞こえてきた。

 突入の準備は整った――――。




 異様な静けさが、屋敷を包み込んでいた。人の気配すらしない。これだけの死臭にも関わらず、死体すらないのだ。

 レイアスは、嫌な予感が拭えなかった。彼女の身に何か…いや――――もっと、悪い何かが…。

「閣下!」

 開けた部屋に入ると、ミューが叫んだ。しかし、彼女が言わんとしていることは、誰にでもわかった。気が、大きな気が動いたのだ。

「――――来ます。」

 ミューがそう行った時には、その場の全員がその場から飛んでいた。

 元いた場所をみると、そこには無数の氷の刃が刺さっている。万が一動いていなければ、死は免れなかっただろう。

 剣を抜き、気の正体を待ち構える。背筋が凍るような冷たい気だ。

「―――――っ!」

 全員が息を飲む。そこに現れた者は。

 連れ去られたはずの少女、美鈴だった。

 何処にいたのか、屋敷の者と思しき人々が、彼女の後ろから二、三人が切りかかろうとした。だがそれは、失敗に終わる。その者達は、体と繋がらない状態で、床に転がり、虚空を見つめている。それは、一瞬の出来事だった。

 皆、黙ったまま喋らない――――いや、喋れなかった。あまりに大きな存在感に、動くことすらできないのだ。

「前の女よりは、まだ使えるな…。さすがは、予言の女王という事か。」

 美鈴が――――いや、美鈴の姿をした何かが、そう呟いた。

 目の前にいる人物は、何処からどう見ても美鈴だった。姿はもちろん。声すらも。しかし、喋り方が違った。それはまるで、人の上に立つ事を知っている喋り、畏怖を感じさせる喋りだった。

 そして――――それ以上に何か言い様のない違和感が、感じられた。

「…違う。陛下の魂の前に、何かが…。」

 ミューが呟く。つまり簡単に言うならば、美鈴の体を乗っ取っている、とでも言ったらいいのか。

 ミューは、美鈴の魂が眠りにつかされ、抵抗することすらもできないように感じた。美鈴の体に入り込んでいる者に、恐怖すら感じた。冷酷で冷たい。

 ミューは意識を集中させ、美鈴の魂に働きかけようとした。

「――――!」

「魔力は、四ノ姫を凌ぐか。」

 しかし、それも失敗に終わる。

 入り込もうとした所から、逆に侵入されそうになった。勝てない。

 そう悟ってしまった。背中に嫌な汗が伝い、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい欲求に駆られた。この場の全員がだ。

「私を蘇らせるために、ヤツらを利用したが……。これは幸運だった。」

 美鈴の姿をした何かは、そう呟いて、手をこちらに翳す。

 その場の全員の視界が、真っ白に瞬いて、光が発せられたのだと理解する。

 数十秒経って、視界がきくようになってくると、ようやくその場の全員が異変に気づいた。

「閣下!」

 最初に声を上げたのはミュー。その視線の先には、音もなく崩れ落ち、意識すらないレイアスの姿。そして、その後ろには、同じく倒れている、オルテスの姿だった。

 幸い、オルテスはすぐ意識を取り戻した。しかし、目の前に倒れる兄の姿に愕然とした。

「――――兄上…。僕を庇って…。」

 攻撃は、主に、レイアスとオルテスに向けられたものだったようだ。レイアスが元いた場所に、大きな焼け跡がついているのが、大きな証拠だ。しかし、それを避ける事ができたのは、弟を守りたい気持ちの副産物に過ぎないだろう。

 レイアスは、先程からピクリとも動かなかったが、一応、最低限の生命活動はしているようだった。

「……力を抑制されたか。――――まぁいい。もう十数分で時間切れだ。」

 美鈴の姿をした何かは、相変わらず一人で何事かを喋っている。残忍な笑みを浮かべながら。

 それ以降、辺りは水を打ったように静まり返った。隊にとって、誰よりも信頼のおけた隊長であるレイアスが、こんなにも簡単に、倒されてしまった事に呆然としていたのだ。

 そうして、やっと時間が動き出したかの様に口を開いたのは、ミューだった。

「閣下……。あなたが、やったのこれを…。―――――っ、許さない…。」

 キッと顔を上げたミューからは、完全に理性が飛んでいた。目の前の人物の身体が誰のものかという事も、完全に頭から離れ。ただあったのは、報復という、強すぎる気持ちだけ。

 ミューの中で、レイアスはとても大きい存在だった。過去の恩から、彼に仕える事を決めたミューだったが、今はそれ以上に、純粋な尊敬と忠義の念が心を占めていた。

 普段の彼女なら、すぐさま治療を試みていたであろうにもかかわらず、今は「治療」とはかけ離れた思いで、目の前の何かを見た。純粋な「殺意」。

 ミューは静かに目を閉じ、呪文の様なものを唱え始める。その言霊に乗り、刺さる様な、痺れるような空気が辺りに漂い始めた。

 誰も喋る事なく、成り行きを見守る。口を挟める様な状況ではない。

 ミューの周りでは、下から風が巻き起こっているかの様に、髪や服を揺らし、魔力のエネルギーが目に見える形で現れてきた。

 それなりの時間を要したにもかかわらず、目の前の何かは、至極楽しそうに顔を歪めている。余興を見ているかのような顔つきだ。

 ミューが目を開く。目には異様な光が差している。

 そして、一陣の風が通り抜けた。

 風が止むと、目の前では膝をつき、息を苦しげにする姿があった。

 しかし、顔は笑ったままだ。それがなお、不気味さを呼ぶ。

 そして、また一人喋った。

「…石が壊されたか。くっ、水精も、邪魔をしにきた。――――しかし、私の体にするに、申し分のない体だという事だけはわかった。もともと、魔石を仲介にした弱い繋がりだから、致し方ない。」

 そう言うと、事切れた様に美鈴は床に突っ伏した。それきり、ウンともスンとも言わなくなってしまった。

 一方。ミューの瞳にようやく、普段の輝きが戻ってきた。しかし、自分のしでかした事の重大さに気付き、力が抜けたようにその場に座り込む。

「…………。わ、私は、なんて事を――――」

 唇はワナワナと震え、それ以上言葉を発する事すら、できないようだった。

 美鈴の魂は少なからず、損傷を受けている。美鈴の中にいた何かが離れても、目覚めないのはそのせいだ。

 “損傷”は、無理な魂の介入によって、起きたものではない。その点ではその何かは、魂をどうこうするつもりは無かったようだった。

 それなのにこの状態になっているのは、偏にミューの放った魔術によるものだ。本来の目標はあくまで、その何かだったが、その魔術が効力を表す前に、その何かと美鈴を繋ぐ、媒体が破壊された。そのために、その威力が半分以上、美鈴に流れ込む結果となってしまったのだった。

「―――私が、私が陛下を……。」

 ミューは壊れた人形のように、その言葉を繰り返し呟いていた。

――――その時まで。

 部屋に、乾いた音が木霊した。

 ミューが、左頬を思いっきりぶたれたと気付いたのは、その数秒後。頬が赤く染まりはじめた時だった。

 驚いて顔を上げると、ミューは目の前に、自分を凄い形相で睨んでくる男がいる事に、ようやく気付いた。ワックスで固めたような赤毛の男は、さらに眉間の皺を深くして、ミューを一喝した。

「お前は、何のためにここに来た。閣下がやられて、取り乱すためか。それとも、その結果、陛下を死なせかけるためか! 違うだろ! ――――わかったら、とっとと仕事してこい。」

 呆気にとられたまま、呆けたように上を見上げていたミューは、ようやく言葉を発した。

「―――――ガルト…兄さん。」

 後ろから、幾人が「え? 嘘、兄?」という声が聞こえた。同僚である、ウィルナンシア以外の人達だろう。含む、オルテス。

 ミューは、少し安心したように笑って、兄に小さく礼を述べると、美鈴の元に駆け寄った。

 傷を癒す術を、ミューはとても得意としている。

 後ろでは、ガルト指揮の下、撤退の準備が進む。

―――――美鈴もレイアスも、取り敢えず一命は取りとめた。




 一行は、目的であった美鈴を取り戻したので、帰路を急いでいた。美鈴が連れ去られた時の馬車を、失敬させてもらっている。

 首謀者は、フィルデリートの前王の弟。つい十年、二十年程前まで、王の弟として王を補佐していた。しかし、その傍ら謀反を画作していたと噂されていた。全王の御代で、実行に移されることはついになかったが、新王が現れ、実権への欲が再び現れ、誘拐という結果になったようだ。

 彼の死体は部屋の奥で、他の多くの者と折り重なってあった。

 一方美鈴は、部屋から連れ出された後、一階にある奥の部屋に連れて来られた。そこで、傀儡にしやすくするようにだったと思われるが、他人の思いどうりとなるような、魔法が施された魔石のついたペンダントを、無理矢理にかけられた。しかし、その魔石を介して、何者かが美鈴に侵入し、意識を乗っ取った。

 そして、その場にいた殆どの人間の命を奪う、結果となった。

 ガルトは、幸運な事に難を逃れ、床に落ちていた、美鈴の首にあったはずの魔石を、ミューの魔法が発動したのと同じ瞬間で、破壊することに成功した。

 魔石は自然に蓄積された、魔力の残りカスのような物が堆積したものだ。それゆえ、魔石に蓄積されている魔力を、使い切る以外の方法で魔石を破壊することは、至難の業だったのだ。

 暫くすると、がたがたと揺れる中で、美鈴は目を覚ました。ミューの力のお陰がとても大きいだろう。一方で、レイアスは。一向に目を覚まそうとしなかった。

「何かに、治癒を邪魔されている気がする。」

 と、ミューは言った。しかし、根気強く魔法をかけ続けたおかげか、外傷については粗方治り、呼吸も幾分か楽そうなものとなった。

 取り敢えず、生命維持に問題がなくなるまで治療したところで、ミューは顔を上げた。視線の先には、先程目を覚ましてから、ずっと膝を抱えて蹲ったままの少女がいる。

「…陛下。」

 ミューは、そっと声をかけた。ピクリと肩が震えた。美鈴は顔を上げないまま、消え入りそうな声で呟いた。

「――――ごめんなさい。」

 何に対する謝罪なのか。それはきっと、自分でもわかっていないだろう。

 やすやすと連れ去られたことか、連れ戻さなくてはならなくなってしまったことか、レイアスを傷つけたことか、人を殺したことか、それとも。

 ミューは悲しげに笑うと、美鈴の隣に腰を落とした。

 感情が伝わってくる。けれど、適切な言葉は見つかりそうもなかった。

 だから、昔話をしてみることにした。

「私も昔、この手で人を殺したことがあります――――」

 反応はあまり感じられなかったが、聞いてくれていることはわかっていた。




 あれは、ミューが看護学の課程を修了し、正式に軍へと配属された年の、戦のこと。

 力は申し分ないミューだったが、実戦経験は乏しく、軍医として初めて戦地に赴く事となったのだった。

 幼い頃、紛争に巻き込まれ、孤児となった過去を持つミューだったが、戦地に入るのは初めてだった。

 打ち身から刀傷の治療も、城内では数えきれないほどやってきた。しかし、戦地では、いつもやっていることが、分からなくなったように感じた。

 暫くすると、死臭と血の匂い。そして疲労とで、倒れそうになった。仮眠を取ろうと思うと、治療時にはあった集中が切れた為なのか、周りには聞こえない、死者達の阿鼻叫喚が再び頭を擡げ、眠りを妨げた。

 どうにかなってしまいそうで、身も心も窶れ果てていた。

 その時だった。

 信頼を寄せていた先輩軍医が、殺されたのは。




「――――そのときも頭に血が上って、何も考えられなくなって。………その兵士を殺しました。気が付いた時には、返り血で真っ赤な自分がいて。…恐ろしかった、自分が。」

 そこで言葉を切り、隣に座る少女を見つめた。

 美鈴は、目に涙を溜めてミューを見つめていた。何を言ったら良いのか、分からないようだった。そんな美鈴に、ミューは微笑むと、続けた。

「その時は、死にたいぐらい自分を責めました。でも、言われたんです。『悔やむのなら、その者の分まで生きろ。そしてもう二度と、私利私欲の為の殺人はしないと誓え。決して、自ら命を捨てるな。―――生きていてはいけない人なんて、この世にいないんだ。』って。だから、貴女も――――生きていて良いんですよ。」

 ミューはそう締めくくると、これが、閣下を心から尊敬するようになった理由かもしれない。と思っていた。少しだけ、隣の少女が、昔の自分と重なった。

 美鈴は、暫く何も言わなかった。しかし、その言葉は確かに心へと響いていた。

 その証に、目から一筋の涙が零れていた。

 そして小さく頷くと、さっきより幾分かしっかりした声で言った。

「ありがとう…。」

 その言葉を、誰かに言って欲しかった。ずっと。




「千年の因縁で雁字搦めになった、亡霊…。もう、美鈴に干渉できる程、力を蓄えていたなんて。」

 ウンディーネは独りごちた。

 何千、何万の時を、千年前の歴史から忘れられた日々も、全て見てきたウンディーネは、過去を思う。

 そして、過去を正す為、生まれさせられた少女を。

 ウンディーネは、瞳を閉ざし主を見た。今は、他人の思念から解放されている。しかし、早めに手を打たねば、媒体に魔石を使うことなく、精神に干渉することが可能となるだろう。

 ウンディーネは空間を飛び、美鈴の乗る馬車の頭上に出ると、美鈴に意識を集中させた。

「――――防御魔法(プロテクト)実行(オン)。」

 これは、美鈴の精神に張る魔法。他者からの、無理な介入を防ぐ。

 単純な魔法だが、全ての魔力の源として存在する、精霊の一人であるウンディーネが施せば、この上なく強固な魔法となる。

 ウンディーネは息を吐いた。これで大丈夫になるはずだ。無理な侵入により、精神を破壊される危険は無くなる。

「………まだ。まだ、死んでもらうわけにはいかない。貴女には、まだ使命が残されているのだから。」

――――貴女はその為だけに、生まれてきたのよ…。貴女が死を迎えるのは、その使命を果たした時。その時までは、私達が死なせはしない。

 全てを理解して、私達は彼女と出会った

 それでも、胸に微かな痛みを抱えて、ウンディーネは再び姿を消した。

第二話運命の歯車は廻りはじめる
一章希望は彼方

「陛…、いえ、閣下。そろそろご仕度を。」

「……。分かっている。女王陛下は国境を越えられた。」

 彼は、銀の髪を揺らし、窓の外を見つめる。若くして、国の頂点に立たねばならなかった過去を思う。

 もう直ぐこの国は変わる。否、もう変わり始めている。

 それが、愛する民たちの為になるのか見極めるまで、ここを退くわけにはいかない。

 彼は、生まれつき色の違う双眸を深めると、モノクルを押し上げた。

「――――陛下を御迎えする。準備にかかれ。」

 後ろの兵は、短く承諾すると、キビキビと部屋を後にした。

 自分も覚悟を決めなければならない。

 彼は静かに部屋を出た。




 レートリアはソルレイトの中でも、最も神や精霊に信仰の篤い国だ。

 美鈴たちは一旦フィルデリートに戻ったあと、レートリアを、再び目指さねばならなくなった一行は、もう一度同じ道を辿る事を、余儀なくされていた。

 レイアスは未だ意識が戻らず、昏睡状態のままだ。体の傷はとうに癒え、呼吸も通常に戻った。しかし、目を覚ますことはなく、城へ戻り、医師に見せても原因は分からなかった。そのため結果として、医師の次に見せるとなれば、巫女。ようは神頼み、という事だ。

 しかし、巫女は魔術も強く、精神に作用する魔術が原因なら、なおさら巫女達に見せる方が、原因究明も早い。というわけで、中でも力の強い巫女が集まる、レートリアへと向かっているわけだ。

 ついでにレートリアの王にも会ってこい、ということで美鈴も半ば強制的に、旅に同行している。厳密に言うと、今のところ何処の王位にも即位していない(誰もかれも、陛下と呼んでいるので忘れがちだが、即位はしていない)、美鈴の戴冠式は帰ってから、ということになった。

 レートリアを目指す。ということで、街道に沿っていくよりも早くて目立たないということもあり、美鈴が攫われた時に通った道を、その時、敵勢力にスパイ活動のため潜入していた為、辺に詳しいガルトを筆頭に進んでいる、というわけだ。

 レートリア国境から少しするまでは、山や森が続く。今回は馬車もあり、さらに道のりはレートリアの王都までと言うこともあり、城を出てから三、四週間は、馬車で揺られていることが予測された。

 御者にはガルト、その隣にオルテス。車内には美鈴、レイアス(荷物)、ミューの三人が乗っている。馬の体力温存のため、スピードはあまり出ていないし、荷馬車と違い人が乗るために作られた(金額にゼロがおかしいぐらい付いてる)馬車のため、揺れは然程酷くはなかった。とは言っても、座りっぱなしではお尻が痛かったのは否めないが。

 夜は、道が道のため野宿が多かったが、美鈴は、馬車内での就寝が余儀なくされていた。ほか3人は、交代で見張りをしていた。

 今、美鈴は一人、昏々と眠り身動ぎさえしない、レイアスの傍に居た。

 寝顔を見つめ、思わず溜息が漏れた。激しい自責の念に駆られる。彼がこんな風になったのは自分のせい。“お前は、一人の人間を死の淵まで追いやっている。彼が死ねば、全てお前のせいだ。”そんな声が、何処からともなく聞こえる様な気がした。

「私は―――私は、ここでも役立たずなの……?」

 どこに行っても変わらない。自分なんか、何処にいたって…。

 負の感情が創る、思考のループに嵌り込んで、抜け出す方法さえ分からない。いつだって、この輪から抜け出したくて、抜け出そうと試みては、いつも、いつも失敗。それを繰り返した。この世界に来て――自分の望んだ形とは違ったが――その輪から抜け出したと思えた。しかし、結局は、全て繰り返しの様だ。私は、また、世界から逃げ出そうとしはじめている―――

 いつの間にか、意識は霞みだす。微睡み、ボンヤリとしながら、美鈴は思った。

――――私は、何のために………




 気が付けば、私は走っていた。灰色の中で。今の気持ちに比べれば、些か薄い灰色。

 灰色で構築された世界。足元は不安定で、欠けて崩れていく。私は、崩れゆく地面から逃げる様に走った。何かの恐怖に突き動かされる。

―――探さなければ。

 平坦な灰色。空も灰色で、地平線は分からない。

 急き立てられる気持ちと思考。進んでいるように思えなくて、焦りは募る。

 それでも、灰色の世界に浮かぶ、灰色の石の破片を横目に。欠けた破片に足を取られながら、ただ進んだ。

 ただ、ただ、走る。

―――何の為に?

 分からない。何かを探しているような気がする。

 しかし、無限に続くかと思われた石の大地は、呆気なく終わりを現した。

 その先で一つの影が、何かを言う。近付けば近付くほど必死に。しかし、声は無い。

 あと数歩で、触れられる程の位置に辿り着いた。それでも、彼の言葉が届くことは無い。表情すらも分からない。

 一歩近づく。そして、私は手を伸ばす。私が探していたのは…

 指が彼の頬を掠める。信じられない位の冷たさが、指を伝って背筋に伝わる。

 その時、彼はふと微笑んで、私を突き飛ばした。

 その瞬間。彼の足元が崩れた。私は、彼が下へと落下していく様を、呆然と見つめていた。

 最初で最後に届いた、たった十音にも満たない音を噛み締めながら。




「―――あなたの、せい、じゃない……。」

 美鈴は、自分の目から幾筋もの涙が流れている事に気が付いた。拭ってもぬぐっても消えない涙は、あの灰色の世界が、ただの悪い夢では無い事を、如実に物語っていた。

 美鈴は顔をゆっくりと上げて、視線を、レイアスの頬へと向けた。先ほどよりさらに白くなっているような気がした。

「どうだったかしら、灰色の夢は……。」

 空気が清らかになった様な気がした。冷たい空気が、美鈴の耳元を擽る。

「ウンディー………。」

 言葉は続かず、虚空へ霧散していく。

 ウンディーネは彼の目元に触れる。美鈴は、声が出せなかった。あまりにも美しい、一枚絵の様で。

「彼は懸命ね。あの奈落に堕ちれば、どうなるか分かっていたのね。」

「あれは…。あれは何だったの……?」

 美鈴が呆然と呟く。その声は虚ろで、自分の声なのか、判別することすら出来なかった。

「精神世界―――と、でも言えば良いのかしら…?」

 ウンディーネは、美鈴に向き直って、細い指先で、彼女の目尻に溜まった涙を掬いとった。

「あの世界の崩壊は、心が壊れたのでは無いけれど。―――そうね、自分でも抜け出せないところ、例えば深い悲しみの世界とかに、閉じ籠ったということ。この場合、魔法で無理に閉じ込められた感じね。」

 貴女も一緒に、落とされるところだったのよ、そう言って締め括った。

「―――じゃ、じゃあ…私のせいなの………?」

 何も言わない。沈黙が、美鈴の心を抉る。

 冷たい外気に身体は侵食されて、風の音、木のざわめきさえも、責めるように感じた。

「私………。」

 いつの間にか、ウンディーネは姿を消している。それに気付いた素振りもなく、美鈴は彼の顔を見つめた。

「私は、私が今出来ることは…。レートリアに、向かうこと…それだけ。私は――――」

 まわりには空虚が広がっている。すがれるものは、何もない。




 一方。外では、二人の兄妹が、火に当たり寒さを凌いでいた。年も、もう一月半程で終わりを迎える頃。そんな夜の空気は、当然冷え切っていた。

「兄さん、(さっぶ)い…。上着、貸せ…。」

 ミューは体を縮めて、火を見つめながら、ガルトに言った。

「ミュー、お前……。いつのまに、そんなに口が悪くなったんだ…。兄は悲しいです……。昔はオレの事「お兄」って言って、かわい――――」

「いや――――!! やめてよ、恥ずかしい!」

 ミューは慌てて兄の口を塞いで、叫ぶ。ガルトは両手を上げて笑った。

 そうして、一しきり笑った後、ふと、まじめな顔つきになって口を開いた。

「そういや…、嬢ちゃんはどうしてる? ちゃんと寝てっか?」

「また、『嬢ちゃん』なんて…。―――オルテス閣下が、近くで見てるはずで、しょ……、って、あれ? 居ないじゃない……」

 ミューが後ろを振り向くと、近くに控えていたはずの、オルテスが居ない。

 ガルトは、少し眉間にしわを寄せて立ち上がり、馬車の中を覗きに行った。

 そして、中を覗いた所で、動きを止めた。そんなガルトを、ミューは不審に思い、同じ様に近づいた。

「…兄さん? どうしたの?」

 そう言いながら、同じ様に覗き込んで、思わず呆気にとられた。ガルトは隣で、視線を逸らして頭を掻いている。

 中はもぬけの空、―――レイアスが眠るだけだった。

 ようやく、思考がまわってきたミューは、思わず叫んだ。

「どこ行ったの?! あの二人…。―――駆け落ち?! ………そんなわけないよね…。」

 ぶつぶつ言いつつ、ミューは視界を閉ざし、意識を集中させる。そんなに離れているとは思えない為、すぐに見つかると思われた。

 しかして、二人は直ぐに見つかった。予想通り、それほど距離は無い。

 ミューは視界を閉ざしたまま、オルテスに呼びかけた。

「――――っ、ちょっと、閣下! どこ行ってらっしゃるんですか?!」

 ガルトがビクッとして、ミューの方を見た。

 俗にいう、「テレパシー」というやつなので、声を出さなくてもよいのだが、思わず声まで出ていたらしい。

『えっと…、ごめん、その……。陛下がちょっと空気吸いたいって言うから、一緒に行ったんだけど…。』

 ミューの頭に、直接声が響く。少し反響したように、聞こえるのが「テレパシー」の特徴だ。オルテスの言葉は続く。

『その、うん。……えっと、帰り道が、消えまして……。』

 ミューはまさに、開いた口が塞がらない、といった状態だった。

「――――迷子。…って、こと、ですか?」

『……うん。』

 ありえなさすぎて、何も言えない。暫く黙った後、ミューは、思わず本音を呟いていた。

「ガキか……。」

『? …何か言った?』

「いえ、何も。」

 目の前にいないのに、にっこりと微笑む。怖い笑顔……。心中で呟く、ガルトだった。

 その隣では、遣り取りが続く。何言か言葉を交わし、事のあらましが明らかになっていった。

 はじめ、美鈴は一人で外へ出た。その後、それに気付いたオルテスが後を追い、帰ろうとした。しかし、その先導をオルテスがやったのが、間違いだった。その後、オルテスの、方向音痴が発揮され、二人は道に迷い、今にいたる。

「完璧、閣下のせいじゃないですか。」

『うっ、………ごめんなさい。で、その、戻りたい――けど、ど、う――ら、ぃい―――ッ――――――』

「え、閣下? どうなさったんです?」

 突然ノイズが入って、それきり何も聞こえなくなる。それと同時に、居場所もぼやけた様な感じがした。

 何かの妨害を受けた様で、二人がいたと思われる場所は、幕がかかったようで、結界が張られていると思われた。

「どうした?」

 ガルトが、ミューに尋ねる。ミューは、渋い顔をしたまま、暫く何も答えなかった。

 その時ミューは、結界の穴を探っていた。近付くことで、形がはっきり分かるものなら良いが、空間が曲げられている可能性もある。無闇に近づけば、場所さえも分からなくなる可能性があった。その為、ミューは一歩も動こうとはしなかった。

 暫く経ってから、ミューはガルトに向き直り、静かに首を振った。

「ダメ…。なんか、妨害されたわ。結界張られてるんだけど、場所は何となく分かるっていうか。でも、わざと分かる様にしてる感じ…。でも―――」

「はい、簡潔に一言で。」

 煮え切らない答えに、ガルトが痺れを切らして、そう言った。

 ミューは、一つ息を吐くと、手を頭に敬礼して、ふざけた調子で言った。

「はい! 結界の解除は、不可能。それから、御二人は、レートリア方面に向かってるでありまーす!」

「うむ、報告御苦労。」

 ガルトも乗っかって、場の空気が少しだけ和む。

 ミューは、それからいつもの調子に戻って、話を続けた。

「うーん。でも、なんか悪意は感じないし。とりあえず私達は、いち早くあっちに行くべきだと思うかな。」

「わかった。んじゃ、行こうか。」

 不快感は感じない。それどころか、包み込むような優しさを感じた。ボンヤリしているながらも分かる二人の影は、恐ろしい勢いで南、レートリアの方面へと向かっていた。結界内の空間が、捻じ曲げられているせいだろう。馬で駆けても、同時か、もしかすると、あちらの方が速いかもしれない。二人は、馬車を牽かせていた馬を馬車から離し、一途に駆けた。

 その時ガルトが、ふと問う。馬車の残された方を、少し振り返る。

「なぁ、馬車(あれ)って、どうすんの。隊長のったまんまじゃ。」

 ミューは一瞬キョトンとして、平然と言った。

「ここから、王都まで半日もかかんないし、レートリア(あっち)の人に回収してもらえば良いんじゃない?」

 ひどい部下もいたものだ。

第二話運命の歯車は廻りはじめる
二章迷子

 ミューと連絡がとれなくなり、それから数分。迷子二人は森を歩いていた。結界が張られ、どうにもならなくなったとはいえ、じっとしているわけにもいかない。

 オルテスは結界の縛りの弱い穴を探っていた。しかし、すぐに無駄と分かった。綻びの一つも無い。この結界は、相当の手練れが張ったものと思われた。細かく、強固で、さらに、規模が桁違い。オルテスは思わずため息を吐いた。自分では、太刀打ちできそうにも無い。

 そこまで考えたところで、漸く、隣からの心配そうな視線に気が付いた。目が合うと、彼女はパッと視線を外した。

この人は目を合わせるのが怖いらしい…

 オルテスはそう感じとり、少し微笑んでから、謝る事にした。

「すみません…。僕のせいで………。」

 謝られるとは思っていなかった美鈴は、慌て、しどろもどろと言葉を返した。

「あ、謝らないで。こうなったのは、仕方ないんだし………。それより、その、結界? 結界は、どうにかならないの、かな?」

 美鈴に問われ、オルテスは眉根を寄せた。

 今のところ、この空間で敵意を感じることは無い。その為、現時点では危害を加えるつもりはないのかもしれない、と推測できたが、今後どうなるか分からない不確かな情報を、口にすることは憚られた。

 さらに、この結界の意味も不可思議だった。今回のレートリア訪問は非公式とはいえ、情報はどこからでも漏れる。その為誘拐等なら理解できる。だが、結界に閉じ込められ、命の危険も感じず、ミューやガルトに結界の存在が確実にわかる様にしている。何をするつもりなのか分からなかった。

というか、この結界の感じ…なんか覚えある様な………

 答えの出ない思考に嵌りかける所で、オルテスは我に返った。そして、不確かな情報は言わない事に決めた。

 結論的には、結界は今のところ、どうにもならない。

「ん……。ちょっと、難しいです。すみません、実力不足で…。」

 また謝ってしまった。と内心慌てたオルテスだったが、美鈴は、なら仕方ないね。と言っただけだった。

 美鈴の、表面上の落ち着いた顔の裏に、大きな不安が秘められているのを、オルテスは感じた。責任を感じずにはいられなかった。

 今、彼女の安全は自分の両肩に伸し掛かっている。誰かと合流できるまで、自分は守り通せるのか。オルテスは不安が込み上げた。しかし、やるしかない。

 オルテスは、再び、結界の抜け穴を探る事にした。




 それから暫く。一方のミューとガルトは、レートリアの城へと足を踏み入れていた。

 急ぎの事情説明の後、レートリアからの捜索隊に加わろうと考えていた二人は、レートリア王―――美鈴が現れたことにより、現在、ソルレイト四国の王達は、「陛下」の呼称で呼ばれることは無く、仮に「閣下」と呼ばれていたが、彼らが「陛下」と呼ばれる地位にいることは、未だ変える事の出来ない事実である。―――に、改めて呼び出され、首を捻りつつ、王の居る執務室へと足を進めていた。

「失礼します、アンセル閣下。」

 執務室に着いた二人は、ガルトのその一声で中に入った。

 アンセルは、物思いに沈んでいるのか、言葉を思案しているのかは判然としないが、暫く黙っていた。

 彼は、銀の髪にアンクルを着けていた。その為、両の瞳の色が異なる事は、分かりづらい。淡い色の左目にはそれを隠すように、アンクルが覆う。一見、少女にも見紛う様な彼は、若冠二五歳(地球年齢十五、六歳)。十八歳(地球年齢十二、三歳)で王位を継いでからの七年間、幼さを感じさせない毅然とした態度で、一人、王座にあり続けた。即位以前に民達が愛していた笑顔は、大人の厳しい表情にとって変わった。民は運命の残酷さを嘆いた。しかしそれでも、彼は変わらず愛され、その様子は、よりいっそうの支持へと繋がった。そして、彼もまた、民に比類無き愛を持っていた。

 そんなアンセルが、新参の″女王″に何を思うか等、言うまでもない。

 沈黙は続く。

 何を考えているのかは、ようとして知れない。

「レイアス閣下の事だが、彼は先程、貴殿等が話した辺りで無事発見されたので、心配はいらない。」

 アンセルが突然に、沈黙を破った。未だ、二人に視線を向ける事は無く、窓の外を見つめ続けていた。

「そうですか。ありがとうございます。」

 声の上では平静を崩さなかったガルトだが、顔からは少し緊張が解け、ミューは兄に向けて少しだけ微笑んだ。四、五時間でどうこうなる、と思っていたわけではないが、無事だという報は、やはり二人を安堵させた。

 自分たちで置き去りにした事実は、この際棚に上げておく。

「―――それで、陛下の事だが…」

 一呼吸おいた後、アンセルが発した言葉に、二人は弾かれたように顔をあげた。アンセルは、ゆっくりと振り返った。それでも彼はこちらを見ず、違う場所を見ている様だった。達観したその様子は、とても二五歳(十五、六)の少年には見えない。

「捜索隊は、無駄に終わる。」

「え、どういう事ですか……?」

 ミューは、思わず声をあげた。結界は厄介だが、そこまで断言できる意味が分からない。ミューはアンセルに探るような視線を向けた。

「案ずる事は無い。見つからないということではない。むしろその反対だ。彼女等の安全は確保されている。」

 断言しているのだから、自信を持って言えばいいのに、彼は何かを隠すように、二人の視線から隠れる様に、目を少し伏せている。

「それで…御二人は何処に居られるのですか?」

 ガルトの質問に、一瞬、アンセルの目が泳ぐ。そのたじろぎはすぐさま消えたが、言葉は暫く続かなかった。

「その―――私の知り合い……の所に、居られる。」

 アンセルの、言葉に詰まる答えに、ミューとガルトは思わず顔を見合わせた。

 うそを言っている様子は無い。ミューは嘘ではないと確信した。

 しかし、それならなぜ、こんなにも言いずらそうなのか。




「あ、あれ。何でしょう?」

 未だ迷子の二人は、遥か前方に、何かの屋敷らしき建物を見つけた。

「中に人が居るかもしれませんし…。行ってみませんか?」

 美鈴が頷くのを見ると、二人は少し歩調を早め、屋敷へと急いだ。

 その屋敷は、たいへん古びており、塀はあちこちが崩れ、門も錆びついている。少し開いた隙間から体を滑り込ませ、お化け屋敷さながらの風格を漂わせる、建物と対峙した。

「何か、出そ―――」

 美鈴が最後まで言い終わらない間に、隣で叫び声が上がった。

「うわぁぁああぁぁ!! そ、そんなこと言わないで下さいぃぃっ!!!」

 隣を見れば、しゃがみ込んで、手で耳を塞ぎ、首を激しく振っていた。完全に我を失っている。

「…………。」

 美鈴が、唖然として、隣の男を見ていると、オルテスは、はっと我に返って、顔を赤らめ、激しく手を振りながら、言い訳を始めた。

「ご、ごめんなさい! そ、その…。霊がいるのは理解してるし、別に、そういうのが怖いわけじゃないんですけど! あの、わっと出てくるのが、ダメっていうか――――! と、ともかく! そういうの言わないで下さい…」

「ご、ごめん……。」

 彼の剣幕にボンヤリしたまま、謝る。そういうと、今度は彼が慌てだした。

「こ、こっちこそ。取り乱してしまって……すみません!」

 そう言いながら、気恥ずかしさをごまかすように、はにかみながら、頭を下げて、行きましょうかと言い、彼女を扇動した。

 中は、外から見ていたより、幾分かはきれいで、埃は被っているもののそうひどい状態ではなかった。目の前には大きな扉があり、それ以外にも小さい扉がいくつかあったが、どれもこじんまりとした部屋で、中はたいして何もなく、行き止まりだった。

 収穫は、万年筆一本、それからカエルの箸置き。

「箸置き………。」

 ソルレイトに来てから、箸には縁が無かった美鈴は、怪訝に思ったが、美鈴はポケットにそれをつっこんだ。

 一番大きな扉は、目の前に立つと、美鈴の背の1.5倍程。木製だが重厚なつくりで、内部にある扉というより、外部と繋がる門、といったような感じがした。

「ここだけですか…。行けそうなのは。」

 オルテスの呟きに、美鈴は同意するように軽く頷く。

 オルテスは、直ぐには開けようとせず扉を触り、見てまわる。仕掛けがある様には感じられなかった。だが、オルテスは扉より、その向こう側な方が気に触った。その向こうに何があるのか全く分からない。

 美鈴は暫くの間大人しく待っていたが、オルテスが考え事をしだした時点で、業を煮やし扉に手を伸ばした。そして、そのまま一思いに、開けた。

「! ――――っ、ちょっと、待って!」

 オルテスの制止の声は一拍遅く、間に合わない。それでも、オルテスはそう叫び、美鈴の袖を引いた。

「え?」

 しかし、時すでに遅し。扉には鍵の一つも掛けられておらず、すんなりと開いた。開けさせるためかのように。美鈴はその先の暗黒を視界の端で捉えた。

 しかし、オルテスへ振り返る前に、それは起こった。

 闇が美鈴の腕を捉えた。

「え、やだ、なんか、腕に――――!」

 それ以上は、言葉になることは無かった。視界が霞み、身体の感覚が失われていく。残った力で後ろを見ると、オルテスも同じ状態の様だった。二人はなすすべも無く、闇に引きずり込まれる。

 闇の涼しく冷たい感触は、美鈴の腕を放すことは無く、闇の深みへといざなう。そして、闇に飲み込まれていった。

 オルテスは、絶対に彼女の袖を放すものかと思った。放せばどうなるか分からない。だが、オルテスには、不思議と恐怖は無かった。これは、二人を包む優しい闇。

 おそらくこれは……

 オルテスは、彼女の袖をしっかりと掴み、闇にのまれていった。

 後に残るのは静寂のみとなった。

第二話運命の歯車は廻りはじめる
三章(トラップ)・罠・(トラップ)

「ちょっとぉー、だいじょーぶ? ―――ねぇってば、おーふたーりさーーん!!」

 ボンヤリとした意識の中に、突然甲高い声が響いた。その小さい子供の様な声と、固い床で、美鈴は漸く目を覚ました。

「あ、起きたね。だいじょぶ? おねーさん。」

 美鈴は、少しだけ上体を起こして、声の主を探した。しかし周りを見渡すも、周りに続くのは石でできた薄暗い廊下だけで、後はぽつぽつと蝋燭の明かりが壁に取り付けてあるぐらいだ。それ以外は、入ってきたと思しき扉すらなかった。

 人など言わずもがな、である。

「おねーさん? あたしなら、上だよ。うーえ!」

 美鈴がその声に導かれるように視線を上げると、確かに人、らしきものはいた。しかし、その姿はまさに――――

「……………妖精。」

 呆然と、そして呆れるように呟いた美鈴の目線の先には、薄い羽を忙しなく動かす体長10cm程の人型の物体が浮かんでいた。細い手足に、幼さの残る顔。とても可愛らしい容姿だが、彼女はやはり、とんでもなく小さかった。

「妖精? そう。あたしは、妖精族(フェアリー)のピリスだよぉ♪」

 彼女、ピリスはそう言いながら、空中をくるくる回っている。バレエでよく見る感じのスカートがはためくことはなく、髪の毛だけが動きに合わせてぴょんぴょんと跳ねる。

「あ! ねぇねぇ、おねーさんは何てゆーの? なまえ。」

 ピリスは楽しげに踊りながら問いかける。

「え……っと、美鈴―――」

 美鈴は、その底抜けに明るい彼女に気圧され、つかえつかえ返答を返した。

「みすず? ――――じゃあ、鈴ちゃんだね!」

「す、鈴ちゃん………。」

 目まぐるしく動く相手の舌に呆気を取られたまま、つけられたところの自分のあだ名を呟く。突然の近しい感覚に何故か不思議と嫌な感じはしなかった。

「ねぇ、そういえばさぁ、こっちのんは良いの?」

「え?」

 ピリスはどんどんと話を変えていく。今度は何かと、そのまま導かれるように、彼女の小さい指が差す方を見た。

「あっ!! オルテス――――!!」

 そこには、女子二名から放置され、存在すら忘れかけられていたオルテスが、意識を失ったまま倒れている姿があった。




 どのような世界でも、他人のは一線を画する天才というのはいるものだ。この場合まさにオルテス、彼こそがその名にふさわしいと言えるだろう。

「あ、あの? ………オルテス?」

 美鈴は、言うべきか言わざるべきか考えあぐねた結果、意を決して声をかけた。そんな彼女の姿は―――彼女だけではなく、彼も同様、いやそれ以上だが―――服のあちこちが擦り切れ、服の裾の端の方は少し焦げ、顔にもいたるところに擦り傷ができている。

「私達って、地下に行こうと思ってたよね…?」

 そう、あの後、目を覚ましたオルテスと話し合いの結果、入って来たであろう扉も消えていたので、この屋敷の主に会い、外に帰してもらおうと言う結論に至った。

 そんな話し合いをしているとピリスが、なぜか突然芝居の掛かった口調でこう言った。

『ここの主に会いに行くの!? それなら、あたしも一緒に行くよぉ! 実は、あたし、ここの主に捕らえられてて、こき使われてて……。だから、あの鬼婆からそろそろ解放されたいの! でもねぇ、実はまだ一度も直接会った事なくてねぇ? 地下(した)の方にいるのは確かなんだけどねぇ。何度行っても会えたためしなくてねぇ。でも、ホントにあんの鬼婆めさー、人使い荒いのなんのって―――――』

 といった口調で―――残りは延々と愚痴になったので聞き流したが―――、ついて行くと言い張ったのだった。特に断る理由も無い二人は、彼女の同伴を許可し、こうして三人(…二人と一匹?)は、ピリスの証言をもとに地下に向かうことにしたのだが――――

「大丈夫です。そのうち下に行けますよ!」

 という、実に能天気な発言を、真に受けて彼についていた結果、なぜか、階段を上がってばかりいた。彼の理論によると、なかなか会えない人なんだから、そのまま地下を目指しても会えるわけがない。とのことだが……

 ――――おそらく、道に迷っているだけである。

 そしてそのまま、彼の直観に従い進んだ結果、元来た道さえも分からず、現在地不明のまま、見知らぬ屋敷を彷徨う事となったのだった。そんな彼にピリスは思わず「迷子の天才」と呼んだとか。「迷子になる人って、絶対地図とか見たり、目印つくらないよね。」とも。

 なぜなら、その道に迷い続ける行程の間―――

「―――――どわぁっ!」

「だ、大丈夫?」

 何かに躓き、転んだオルテスに、美鈴は慌てて駆け寄る。ピリスはその、もう何度目か分からないこの光景に、呆れた様な目線を送っている。

「す、すみません。大丈夫で―――――」

 オルテスは、起き上がろうと床に手をついた。そのとき―――


  カチッ


「「『カチッ』?」」

 何かを作動させるようなボタン音を聞いた二人は思わず声をはもらせた。オルテスが恐る恐るついていた手を持ち上げる。その下には、床と同質同色の四角いボタンの様なものがあった。

 二人は青くなって顔を見合わせ、オルテスは恐々口を開いた。

「な、なんか、音。しません?」

 どこからか、地響きのような音が近づいてくる。それは、無数の羽の羽ばたくような音に…

「ね、ねぇ! ふたりともぉ! あれ!!」

 ピリスの差す方向を見ると、何か黒い塊が、廊下の向こうからものすごいスピードで迫ってくるのが見える。それはあっという間に近付いて、小さい生物たちの群れであることが視認できるぐらいになった。

「なんか……飛んできてる!?」

「伏せてっ!!!」

 オルテスは、そう言うが早いか、傍らの美鈴を床へ押し付け、腕で美鈴の頭を庇いつつ、自分も伏せた。

 そのとき頭上を、何か翼をもった生き物が、大量の羽ばたき音と共に高速で通り過ぎていく音がしていった。

「ふたりともぉ、もーだいじょーぶ……みたいだよー。」

 ピリスのそんな声を聞いて、何かが通り過ぎた後も伏せ続けていた二人が、そろそろと顔を上げた。そのまま辺りを見渡すが、まるで何事も無かったかのように、何も変わった様子はなくなっていた。二人は、思わずつめていた息を吐き出す。

「あれ……。蝙蝠か何かだったんですかね? うーん。でも、今までで一番マシだった気がしますねー。」

 というのも、地下を目指して出発してから、行く度も同じように“侵入者用(トラップ)”だという、罠に引っかかりまくっていたのだった。初めは1m程の落とし穴に始まり、火に炙られ、槍に突かれ、網に降られ………と、数歩進むごとに様々な罠に引っかかっていたのだった。しかも、その罠から逃げる過程で、さらに道に迷うと言う結果になっていた。

「何、のーてんきにいってんの!? 全部作動させてんの、アンタじゃないのぉ! ヒドい…これじゃぁ、命がいくつあったって、足んないわぁ!」

 ピリスは罠に引っかかるたびに、こうやっておいおいと嘆くが、彼女だけはかすり傷一つしていない。小柄だから、すばしっこいのかもしれない。

 三人は応酬をしながらも、漸く歩き始めていたときだった。

「ねぇ! 鈴ちゃん! もう、二人で行っちゃおうよぉ!!」

「そうしたい気持ちは分かるけどね。」

「うわ、御二人ともひど―――――」


  カチッ


「――――あ゛あぁっ、もう!!! また、アンタか!!!」

 ピリスが、オルテスの足元からまた響いた不吉な音を聞いて、ついにブチ切れたのか大声で叫んだ。美鈴は諦めた様に溜息を吐いた。

 今度は何かと三人が辺りを見回していると、今度は天井から何かが作動している様な地響きに似た音と、金属の歯車が擦れるような音が響いてくる。

 そのまま、三人が動けずにいるうちに、突然天井が開いた。そこには、刺のはえた分厚い鉄板の様なものがある。

 そして、その鉄板が落ちて――――

「あれ………?」

 衝撃はいつまでたっても襲ってこない。美鈴はいつの間にか、しゃがんで、目を瞑っていた。その瞑った目を、美鈴が恐る恐る開けると。隣にいたオルテスが鉄板の落下を支えていた。彼は膝をついて、手を掲げようとしているが、鉄板の重さに負けているのか、どんどん肘が曲がっていく。彼の手と鉄板との間には少しだけ隙間があって、魔法を使っている様だった。よく見ると、薄い赤色をした暖かい風の様なものが、手を中心に、鉄板の底面中に広がっていた。

「早く、出てください! 僕、魔力弱いから、あんまり長くは、持ちません―――!」

 美鈴は低姿勢のまま、急いで鉄板の下から抜け出す。だが、オルテスは鉄板を支えるのに精一杯で、そのまま動くことができないようだった。

「ど、どうしよう……。」

 その間にも、オルテスの体力はどんどん削られているようで、額には脂汗が浮かんでいた。手が震え、限界が近い事は、他人でも窺い知ることができる。

「僕のことは、いい、ので、先に行って、ください。」

 オルテスが切れ切れに口を開いた。だが―――

「――――――あぁ、もう、ダメだ!」

 そう言って、オルテスが倒れ込んだのと、鉄板が重力に従って落下したのはほぼ同時だった。鉄板が床にぶつかる鈍い音を最後に、辺りは沈黙に満たされる。まるで、そこに最初から誰も居なかったかのように。

「そんな――――」

 床に沈んだ鉄板を美鈴は呆然と見つめる。こんな重いもの押しつぶされたら人体なんて………

 目の前で起こった信じられないような出来事に、美鈴はただ立ち尽くすばかりだった。


 そのとき

「――――してー、出してくださーい……。」

「え?」

 声が聞こえた。

 どこからともなく――――いや、目の前の鉄板のから。しかも、側面からは、薄い金属の板を叩くようなボワンボワンと言う音も。

「ピリス! これ、もしかしたら、中が空洞なんじゃない? ―――手伝って!」

 美鈴が鉄板―――鉄箱を軽く叩くと空洞特有の響くような音がした。それで確信を得ると、二人は、主に美鈴は苦労の末、鉄箱をひっくり返すことに成功した。

「オルテス?」

「うわー、すみません。助かりました。ありがとうございます!」

 中から這い出してきたオルテスは、気の抜けるような笑みを浮かべて感謝を述べた。

「怪我は? 大丈夫?」

「はい。貴女の方もなんとも無さそうで良かったです。」

 二人はお互いの無事を確かめあった。二人は少しかすり傷をつくったぐらいで、他はなんともなかった。

 落ち着いた所で二人は、天井に大きく穴が開いているのを見つけた。

「もしかして、あれが重かったんでしょうか?」

 その中には、見た事も無い位、太く重そうな重厚な鎖が、何かに巻き取られている様にそこにあった。だが、それでも、鉄板の下に見えた刺は何処に行ったのだろうか。

「ふーたーりーとーもーー!! こっちー! 階段あるよ、上行きのぉ! 階段これしかなさそうだけどぉ、どうする!?」

 そのとき、ピリスの甲高い声が廊下の向こうから響いてきた。いつの間にか近くから消えていた彼女は先の偵察に行っていた様で、遠くの方から小さい人影が手を振りながら呼びかけている。行きたいのは地下だったはずだが…。

「上しかないなら仕方ないね。――――行こう。」

 二人は、ピリスの方へと走って行った。




「ねぇ、この階段……。いつまで、続くんだろ……。」

 美鈴が一人、息も絶え絶えに呟いた。

 というのも、ピリスが見つけた階段を上りはじめてみたまでは良かったのだが、螺旋階段となっていたそれは、罠の類がない代わりに延々と階段が続いていた。かれこれ十分以上は上り続けているが、いっこうに終わりが感じられず、しかも同じ景色―――白っぽいレンガの螺旋階段の景色しか、見る事ができなかった。比較的緩やかな階段ではあったが、十分以上も上り続けていれば、普通一般人は息が上がってくる。インドア派な美鈴はもちろんなのだが、周りを見るとなぜか、息が上がっているのは彼女一人だった。

「…………、なんで、二人とも、そんな、に元気なの…。」

 もう、かれこれ何度目か分からない疑問を思わず呟く。

「僕、これでも軍の幹部ですよ? 今は…ネル兄上に呼ばれたんで、お休み貰ってるんですけどね。」

 はじめにこの疑問を口にしたとき、オルテスはこう答えた。それ以降は常にこんな調子で、今まで上官にさせられた、聞くだけでも恐ろしい訓練の数々を聞かせては、美鈴の体力をさらに削いでいた。因みにピリスは、身体の小ささを生かして、そんなオルテスの肩に、ちゃっかり乗っかっている。飛ぶのも疲れるようだ。

 その時、何かを感じたのか、少し前を歩いていたオルテスが、振り返って笑顔で叫んだ。

「風…? もうすぐ頂上かもしれませんよ!」

 美鈴は、体力の限界で答えることは出来なかったが、程無くして、彼の言うとおり一番上、外まで着いた。

「――――っ、もう無理!」

 美鈴は、一番上に登りきると同時に、そう言って倒れ込んだ。ゼーゼーと肩で息をしてしばらく動けそうにも無かった。

「ちょっ、鈴ちゃん! だいじょーぶ?」

 ピリスは、オルテスの肩から、ひょいと降りると美鈴のところへ近寄る。オルテスは、そんな美鈴を気遣いつつも、屋上と思しきそこを、歩き回っていた。下を見下ろすと、霧でも発生しているのか、あるはずの森は白い靄に隠れて何も見えない。加えて言うなら、それ以外何も見えず、ただ、だだっ広い平面が広がっている。そう、何もない。自分たちが今、上がってきた道さえも―――

「―――――! 階段が無くなってる!!」

「え…? ――――えぇっ!」

 オルテスの叫びに、美鈴は驚いて振り返るが、やはり、そこには何もなくなっている。

 今来た道さえなくなった、ということは…

「私達……ど、どうやって帰るの?」

 階段による疲労から立ち直り、顔を上げた美鈴が当然の疑問を口にする。オルテスはまさに、顔面蒼白といった表情のまま、何も答えることができなかった。ただ、黙って座ったままの美鈴を見下ろしている。

 しかし、その疑問の答えは、意外なところから帰ってきた。

「だいじょーぶだよ。だって、――――これから、下に行くんだから。」

「え? それって、どういう―――――」

 ピリスの謎の発言の意味を問いただす前に、美鈴の言葉は途切れた。

 床についていたはずの手から、何故か抵抗が消えた。いや、手だけではない。突然の引っ張られる様な感覚と、変わりはじめる視界で、美鈴はようやく、自分の身体が落下し始めているのだと理解した。隣には、同じくこの突然の事態に気付いたオルテスがいる。

 だが、思考が保てたのはそこまでで、急速に小さくなっていく外の光を頭上に見つめながら、悲鳴と共に二人は暗い穴へと落下していった。

第二話運命の歯車は廻りはじめる
四章水と魔力と

「おしり、いたい……。オルテスいる?」

「はい……、何とか。」

 気が付けば浮遊感が消え、地面に着地していた。落ちる途中、軽く意識を失っていたのか、お尻を強打して、地面に辿り着いたと分かるまでの記憶がない。周りを見渡せば、遥か頭上に自分たちが落ちてきたと思われる穴が小さい光の点としてあるのを除けば、周りは暗く自分の手さえも見えない。もちろん、声によると近くにいるらしい、オルテスの姿も。

 普通、あの高さから落ちたら死ぬと思うんだけどな…。

 そう思いつつ、美鈴は頭上の小さな光の点を見つめた。それは自分たちが入れると思えないぐらい小さく見える。要するに、物凄く遠い場所にあるという事だった。

 しかし、たとえここがどこであろうと、周りが見えなければ何もしようがない。二人はこの深淵の闇を前に途方に暮れて座っていた。しかしそんなときに、視界の端にちらりと何かがうつったような気がした。

「「?」」

 そのなにかに視線を向けると、蝋燭の炎のような柔らかい光が見えた。二人がそれを火と認識した瞬間、それから引火するように、隣々と、両側から円形に二人のまわりにあかりが出現した。

 そのあかりによって周囲は驚くほど明るくなり、丸い円形の形をした白いレンガの壁の部屋にいる事が分かった。

 しかし、美鈴がふと上方を見上げると、先ほどまであったものが消えていた。思わず、美鈴は呆然と声を上げた。

「て、天井がある……!」

 先ほどまであった、遥か上方の穴はなぜか無くなって、蓋をされたかのように、上も下も壁と同じ、白っぽいレンガ造りの部屋となっていた。

「でも、出口がありませんね。」

 美鈴の言葉に引かれて天井を見ていたオルテスは視線を戻すと、真剣な眼差しで辺りを見回した。そう、あるのは壁とそれに取り付けられた、なぜこれでこれだけの明るさが出せているのか不思議なほど小さな蝋燭とその燭台のみだ。扉はもちろんない。

 だが、また壁なり床なりに、仕掛けがあるかもしれない。しかし、とりあえず自分の足で状況確認をしない事にははじまらないので、美鈴は立ち上がろうと手をついた。

 しかし、手をつこうとすると、生ぬるい感覚とピシャリという水のような音がした。

「“ピシャ”……?」

 美鈴が自分が付いた手を見ると、そこには2、3センチほどではあったが、床に水が満たされていた。

「―――――!」

 驚いて立ち上がり、1、2歩後ずさった。その足で、さらに大きな水音と水飛沫が上がる。

「? どうしたんで……――――えぇっ?!」

 その音を訝しんで、振り返ったオルテスもようやく、その水の存在に気が付いたようだ。

 しかも、よくよく観察すると少しずつではあったが水量が増えてきているのが分かった。

「一体どこから………。」

 そう言いながらオルテスは周りを見渡した。それに倣うように、美鈴もキョロキョロと辺りに視線をやった。すると、二人の身長より少し高い、手が届かなさそうな位置に、入水口と思しき穴が、壁に開いていた。

「あんなの……さっき、あったっけ。」

「………さぁ。」

 呆然と呟く二人をよそに、水は滾々と湧き出ている。その穴から流れ出る水は、壁を伝って、床の水量をより一層増している。すでにその水量は足首をこえ、脹脛の真ん中あたりまで達そうとしていた。異様に生暖かいその水は、身体を冷やす事こそなかったけれど、漠然とした不安を一層掻き立てるもののように感じられた。

「でも、どうしたら……。」

 出入り口になりえるのは、入水口となっているあの穴のみだ。幸い、二人が通るには十分の広さがあった。そのため、このままの水量ならば、あの穴に手が届くほど浮くぐらいの水量まで待って、あそこから出ればよかった。しかし、嫌な予感は当たるというか、その穴の奥から、地響きのような音が聞こえてきた。

「え……?」

 何の音?と思えたのは一瞬であった。そう思った瞬間、その穴から多量の水が恐ろしい勢いで流れ出した。驚き慄いている間に、水かさはみるみる増し、あっというまに膝をこえた。うかうかしていれば、あっという間に水に呑まれてしまうだろう。

「ど、どうしよう?!」

 すっかり慌てふためいた美鈴が、不安げにオルテスに言った。オルテスは少し考えるように黙ってからポツリと呟いた。

「……あの勢いさえなければ、あそこから出られる、と思います。どこかには繋がっているでしょうから……。でも……。」

 厳しい顔つきのオルテスは、いまだに激しい勢いで水が流れ続ける穴を、じっと見つめていた。

「『でも』……?」

 美鈴が首をかしげながら、オルテスの言葉を促すと、オルテスは厳しい顔つきのまま、コクリと頷いた。

「魔法には属性があるのは知ってますよね。僕の属性は“火”です。……つまり、水は上手く扱えないのです。」

 彼の言によると、少量の水ならば、火で蒸発させることもできたのだが、あの水量でかつ水圧も高いあの流れの中では、何もできないという事だった。

「レイ兄上だったら……良かったんですが。―――すみません。」

 美鈴はそんなこと無いと彼を慰めながら、レイアスが川を凍らせて自分を助けてくれた事を思い出していた。そして、そのことを皮切りに、四精と会ったことも思い出した。そして、自分にも“魔力”というものがあったのではないか、ということを。

「あの、私にも、何かできないかな……?」

「え……。」

 美鈴が気が付くと口走っていたその言葉に驚いたように、まじまじと彼女の顔を見たオルテスは、「ちょっといいですか。」と言いながら、美鈴に向かって手をかざして目を閉じた。

「……? ―――あー、……はい。」

「?」

 何事かを呟きながら、オルテスは手をかざしていたが、目を開けて、にっこり微笑みながらスッと手を下ろした。

「美鈴さんの魔力は“水”ですね。だったら、なんとかできると思います。」

「ん……? でも、私、魔法なんか、ちゃんと使った事……。」

 この旅に出る前のあの一件を思い出し、暗い顔になる美鈴だが、オルテスはそれに気付かぬふりをして、話題を逸らすように笑顔で続けた。

「大丈夫です。僕がお手伝いします。僕、こういうサポート役の方があってるんですよねぇ。」

 オルテスはサッと美鈴を導いて、水の勢いに巻き込まれない程度の位置まで泳いだ。もう、軽く泳げるほどの水位になっていた。

「手を出してください。」

 オルテスの指示のとおり美鈴は、おそるおそるではあったが、手を差し出した。オルテスはその美鈴の手を後ろからギュッと握って、指示を続けた。

 目を閉じて手のひらに集中するように。そこに力を集める感じで。流れる水をイメージしながら、それを操るように………

 美鈴はオルテスにそう言われ、その通り思ってみたのだが、依然として周りは何の変化もなかった。水はその間にもどんどん水位を上げ、首元まで来ていた。

 オルテスは少なからず焦っていたが、それを声色に出さぬように努めていた。だが、水はすぐそこまで迫っている。目下の水を睨みながら、言葉だけではどうにもできない事を悟った。そこで、オルテスはやり方を変えることにした。美鈴にはそのまま続けてもらい、自分の魔力で、彼女の力を刺激しようと考えたのだった。

(属性が違うから、上手くいかないかもしれないけど……。やらないよりは、マシだ……!)

 オルテスは少しずつ、触れている手から魔力を染み込ませることにした。これに触発されて、彼女の魔力が動いてくれればいいと思いながら。

 しかし、動く気配のないまま、ついに頭が天井に着いた。そして程無くして、部屋は水で満たされる。オルテスは意を決して叫んだ。

「息吸って!」

 そして、そのまま水の中にもぐっってしまう。オルテスが目を開くと驚くほどその水は透き通って見えた。

 とてもよく見えた、水の流れも。

 オルテスは、水に交じって何か色らしきものが混ざっているのに気が付いた。それは、美鈴の周囲から発せられていた。

(上手くいった……?)

 色、つまりは青や白の魔力の流れは、どんどん二人を包む。薄いその色たちはその向こうを見通すことが出来たけれど、はっきりとした存在感をオルテスは感じていた。そしてそれが完全に二人を包み込むと、続いて、その結界のようなものの中から水が消えた。水の浮力で軽く浮かんでいた二人は、特に美鈴がだが、崩れ落ちてせき込みながら、息を吐いていた。

 オルテスはそんな美鈴を支え、背中を擦ってやりながら、ようやく息が吸えるようになったことに安堵した。あのままでは確実に二人とも溺死する運命にあった。

 美鈴が落ち着いてくると、オルテスは美鈴ににっこりと笑顔を向けて、ゆっくりと立ちあがらせた。もう少し休ましてやりたいところだが、次に何が起こるか分からないところに長居するのは得策とは言えない。だからオルテスは、気遣いながらも美鈴を先へ進むよう促した。

「やりましたね。―――さ、行きましょう。」

 美鈴も疲れた様に微笑みつつも頷いて、出口を目指して歩いて行った。




「息吸って!」

 そういうオルテスの言葉を最後に、美鈴の世界は突然静寂に包まれた。神経が研ぎ澄まされて、目を閉じているのは彼女も理解しているのに、美鈴には自分のまわりの状況全てが見えた

 その瞬間何だかすべてが理解できたような気がして、今まで掴むことのできなかった「魔力」というものを理解できた。否、思い出した。そんな感覚を美鈴は感じていた。

 彼女は自分の望む魔力がどうすれば引き出せるのか理解でき、またそれは容易な事であった。だが、器がついて行かない。だから、それは身体へ異様な負担をもたらし、彼女の体力を削いでいった。

 だから、魔法が完成して、息が普通に吸えるようになると、立っていられないような疲労感を美鈴は感じた。誰かが支えてくれたような気がしたけれど、すべて夢のように曖昧で、現実が戻ってくるまで、幾分か時間がかかったのだった。

「やりましたね。―――さ、行きましょう。」

 彼女を立たせた彼が彼女を促すように言ったその言葉に、美鈴はその言葉にようやく頷くと、ふらふらと歩いて行った。その一歩を踏み出すごとに足取りがしっかりとしたのは、ひとえに夢想感が消えていったためだ。

 周りが現実のものとして戻ってくると、先の不安を感じるだけの余裕も戻ってきた。本当にこれは出口に通じているのだろうか。

 そう美鈴が思った瞬間、まばゆい光に視界を奪われ、それ以後の記憶は途絶えた。

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