誓いに口付けて
長く戦争状態にあった隣国との、和平のための婚姻。
式を取り仕切る司祭の声を聞きながらセイラスは、隣に少し俯き加減で立っている妻となる女を横目で見た。
まさか、このような場所で相見える事になろうとはな……。
ラディア・フォン・エルルーシェ。隣国の取るに足らぬような下級貴族の娘――、だった女だ。
ほんの何年か前までなら、家名すら聞いたこともないような家だった。
しかし、つい最近まで戦場にいたセイラスには聞き馴染みの深い名前でもある。
類稀な剣の才を持ち、無名の貴族でありながら武功を立てて、あっという間に王妃の信任厚い騎士にまで登り詰めた女だ。
彼女の通った後には死体で道が出来る、などとまで言われていた。
いずれ戦場で遭遇すると思っていた。
しかし、その機会は訪れぬまま終戦を迎え、こうして婚礼に望んでいるのは、なんとも不思議な気分だった。
隣に立つ彼女は、長いベールをかぶっている事とその小柄な体格も相まって、ただの少女に見える。
本当にこれが、戦場で怖れられた女騎士なのかと疑ってしまうほどだ。
その時、セイラスは婚姻証書に署名を促されペンを取った。さらりとそれを走らせ、隣の女に渡す。
彼女も慣れた手付きでそれにサインをした。
「それではこちらを、陛下」
祭司に揃えの指輪を渡される。
セイラスはその二つあるうちの小さな方を手に取った。
そして女の手を取って、軽く息を飲んだ。
ああ、これは……、剣を握る者の手だ。
その手に触れれば、彼女が並々ならぬ努力をしたのだということが、言われずとも知ることが出来た。
セイラスはその指に持っていたリングを通す。そしてそのまま手を離さず、彼女の指先に口付けを落した。
「っ!?」
彼女が動揺したのが気配で分かる。
伏目がちだったのが、驚きのあまりかぽかんとした様子でこちらを見上げていた。
はじめて視線が合う。
ベール越しなのがもどかしくて、セイラスはそれに手をかけた。
「あっ、あの、お待ちを……、陛下」
しかし、女の手にそれを留められる。
「まだ、指輪の交換が……」
控えめな指摘に、セイラスはようやく己に渡されるべき指輪が、まだ司祭の手元に残っていることを思い出した。
「……あぁ、すまない。気が急いてしまった」
そう言ってセイラスは手を彼女に差し出す。その手を見て、女は慌てたように指輪を取り上げ、それから慎重にそれをセイラスの指に通した。
それを確認すると、すぐに彼女のベールを持ち上げる。
「……あぁ、」
紗幕越しではよく見えなかった女の顔が露わになった。
平凡な茶色の髪に黒の瞳。絶世の美女というわけでもない。
それでも、何故か惹き付けられるものを感じる。
「――私は、お前を守ろう。ラディア」
「え……」
ラディアが目を瞬かせる隙に、セイラスは彼女の唇を奪ったのだった。
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