裏切りを抱えて(5・完)
前話「裏切りを抱えて(4)」
ラディアは静かに涙を流したまま、セイラスに促されるまま部屋へ戻った。
こちらの国に滞在する間、国王夫妻が過ごす部屋として元々は客室だったのを整えた場所だった。
扉が閉じられ、セイラスと二人きりになる。
ラディアは未だに涙が止まらなかったが、彼の腕をすり抜けて、その前に膝をついた。
「……ラディア、何の真似だ?」
涙がほとほとと床に消えてゆく。それを見つめながらラディアは言った。
「どうか……、私の首をお
セイラスが息を飲んだ。
「何を、言っている」
「私は貴方を殺すために近付き、そして傷付けた重罪人でございます。本来ならば、既にこの世と別れを告げていた事でしょう」
「……ラディア」
「しかし、陛下の御恩上で
「ラディアッ!!」
セイラスの大きな声に口を噤んだ。
普段、こんな風に声を荒らげる人ではないのに、と苦笑する。
「顔を、顔を……上げてくれ」
涙はまだ止まってくれない。だが、彼の願いだからとラディアは俯いていた頭を上げて、微笑んでみせた。
「陛下、そのうえ私は……、騙されていた事に、今の今まで欠片すらも気付かなかった愚か者にございます。生かす価値など、何処にありましょうか」
見上げたセイラスは悲痛な顔をしていた。
どうして貴方がそんな顔をするの、と思う。けれど彼は優しいから、ラディアを責めることも、愚かだと嗤うこともしないのだろう。
「陛下、どうか」
もう一度、
「……お前は私を独り、置いて逝くつもりか」
「私のような、剣を振り血をものともせぬような女より、もっと陛下に相応しい御方がいらっしゃるはずです」
ラディアは無理やりに笑顔を維持し続けた。
「それは……、本心か」
「はい」
ラディアは心の底からそう思っていた。自分よりも、この強く美しい男の隣に立つのに相応しい女は星の数ほどにいるだろう。
ただその事実を、受け入れ難いというだけで。
しかしそれも、「彼自ら首を刎ねた、ただ一人の妻」になれるのならば、どうにか耐えられる気がした。
「ラディア」
嘆息したセイラスが膝をつく。
見降ろされ、遠かった距離が一気に近付いた。
「へい、っ……」
陛下、お立ち下さい。と言うはずだったラディアの口を、セイラスの唇が塞いだ。
「――こんなに泣きながら、私の再婚を望むのか?」
「…………貴方が、私を殺してくださるなら」
ただ是と言うことは、出来なかった。
本当の本当は嫌だったからだ。
彼の隣に立つ、唯一の女でありたい。本当はそう思っていた。
「お前は酷い女だな……。私に、唯一心を許した女を殺せと言うのか?」
「……陛下はお優しいから、私に同情してくださっているだけです」
「『優しい』ね……。そんな事を私に言うのは、この世でお前くらいだ」
「そんなこと……」
「それに私は、お前を殺せば気が狂うぞ」
「え……」
あまりの発言に、ラディアは目を瞬かせた。
「嘘だと思うか? 本気だ。――あの日、お前が憎しみで私を殺そうとしていたならば、あの手を離していたくらいには」
あの日――、セイラスを殺そうとした日のことだと、ラディアにはすぐに分かった。
確かに彼はあの時「私が憎いか」と聞いた。その時のラディアは、彼の喉元に短剣を突き立てようとしていたはずだ。
それを留めていた彼が、その手を離していれば――。どうなるかなど、考えるまでもない。
「……何故?」
ラディアは混乱する頭で、ようやくそれだけ訊ねる。
セイラスは口の端を持ち上げる。
「分からんか? 私は存外、お前に溺れているということだ」
「私が『死ね』と言えば、死ぬと……?」
「それも悪くない。だから、本心でお前が死を望むのなら与えてやってもいい。ただし、愚王をいただいた国が一つ滅ぶがな」
ラディアはあまりにも大真面目な顔で、そんな荒唐無稽な事を言う彼に、ついに耐えきれなくなって、ふっと笑った。
くすくす笑っていると、セイラスはちょっぴり不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何故笑う。私は本気だぞ」
「はい、わかってます」
一通り笑うと、先程まで胸を巣食っていた絶望的な気分が消え去っていることに気付く。
ラディアは、そっと確かめるようにセイラスの胸に触れた。そして、それが拒まれないことを確かめると思いきって彼に抱きつくように身を寄せた。
急なことでセイラスも受け止めきれなかったのか、彼はラディアを抱きとめつつも体制を崩して床に座り込んだ。
「ラディア?」
「私、嘘を申しました」
背に回されていたセイラスの手が少しだけ震えた。
何を言われるのかと緊張したのだろうか。
いつも堂々とした人だと思っていた。だからそんな一面もあったのかと、少し不思議な気分になる。
「先程……『この世に未練はない』、そう申し上げました」
「……ああ」
「陛下」
顔を上げて彼の表情を覗き込むと、その瞳に微かな不安が覗いていた。
ああ、彼も完璧な人間ではないのだ。
ふとそんな事を思った。
「私、貴方の隣で生きてゆきたい。そんな『未練』が残っておりました。――叶えて、いただけますか?」
「……っ」
セイラスは返答の代わりに、ラディアを苦しいほど抱きしめた。
「陛下――セイラス様、貴方をお慕いしております」
「……っ、ああ、私もだ。私のラディア」
この時、ラディアは初めてセイラスの名前を呼んだ。
彼も気付いたのだろう。腕の力が一層強まる。
ラディアは目を閉じてセイラスからの苦しいほどの抱擁に身を委ねた。
これからもきっと、彼への、かつての主への裏切りに苦しむ日もあるだろう。
それでもこうして抱きしめてくれる腕があるならば、きっと乗り越えてゆける。
ラディアはそう信じて、自らも愛しい男の背に腕を回した。
お題「女騎士」