第一話

序章印が結ぶ二人

 何千年も昔。この国が建国された時代から脈々と受け継がれる二つの力があった。

 それは、相反するものでありながら、引きつけあう力。

 その二つの力の証として一人は右手に、一人は左手に、印が刻まれる。

 その印をそれぞれ受け継ぐ二人は、青年は王として国の主となり、少女は導師と呼ばれ人々の信仰の対象として国を象徴している。

 かつて、その力を授け給うた神への祈りもまた、二人の役割であった。


 新年まで一月を切り、寒さは一層強まっている。そんなこの季節に、明くる年の平安と豊穣を祈願する祭祀が行われる。

 今日はその儀式が行われる、神聖な日であった。

 祈願を行う、王と導師。それ以外の官人達は二人が祈りを捧げる祭壇の下方で、同じように神の御前に跪きながら、それを粛々と見守っている。

 祭壇にいる二人は、短い祈りを捧げると、ゆっくりと立ち上がる。そして、その前方にある、十数段の階段へと歩み寄った。王は、その脇に控える神官が捧げ持つ盆から、今年取れた穀物を束ねたものを受け取り、隣にいる導師と歩を合わせて、階段を上りはじめる。

 神のいる場所へと一層近付くように、段を一歩づつ上っていく。

 この場所へは限られた人間しか立ち入ることが出来ない、神域である。

 それを象徴するように、二人が並んで、どうにか進める幅しかなかった。手摺がなかったならば、足を踏み外して落ちやしないかと、気が気でないところだっただろう。

 階段を上る。上れば上るほど、人々の気配が遠ざかって、二人きりになっていく。だが、言葉を交わす事はおろか目すらも合わせることなく、二人は階段を上り切った。

 上った先もたいして広いわけではない。二人が膝をつける程度の広さの床と、その前に横に長い長方形の小さな台。そして、その上には空の杯が一つ。ただそれだけである。

 王が台の空いたところに持っていた穀物の束を置くと、導師は空の杯に手をかざした。すると、その手から何処からともなく水が湧き出して、その杯を満たす。そこまで終わると、二人は姿勢を正し、声を合わせて長い祈りの言葉を捧げた。

 そうして祈りを捧げ終わると、二人はゆっくりと立ち上がって、上ってきた階段を下りはじめた。

 ここまで終わってしまえば、後は階段を下り、今度は官人たちと共に短い祈りを捧げるだけだった。それで、儀式は終わる。まだ気を抜けるわけではないが、二人の肩から少し力が抜ける。

 二人の階段を踏む音が静かなその空間に響く。階段はもう半ばまで下りてきていた。規則的な足音が響く。

 それが、乱れた。

 そして、少女の短い悲鳴と何かがぶつかる音。

 その後は、時間が止まってしまったかのように、しんと静まり返って、物音ひとつしない。

 はじめに声を出したのは誰だろう。

 小さな「陛下…」という声、それを皮切りに、時間が再び動き始める。

 下で控えていた官人達の数人が、二人がいる場所へと向かおうとして、同じく動転している神官達に止められて口論となる。ここは御二人しか立ち入る事は出来ない、そんな事を言っている場合ではないだろう、と。

 本来ならば、王と導師以外の立ち入りが許可されていない事は、皆百も承知である。だから、官人達も引かない。そんな不毛なやり取りをする人々を横を擦り抜け、官人達のうちの一人が二人の元へと駆け寄った。

「陛下!」

 導師の少女は、その声ではっとして、ようやく自分が階段に座りこんでいることに気が付く。

「っ――」

 彼女の前には、つい先程まで澄まし顔で隣を歩いていた青年の顔がある。そして、その顔は苦悶に歪んでいた。

 少女は視線を彼のその顔から、青年の肩口へと移した。

「!」

 そこには、矢が深々と刺さり、その周囲を赤黒く染めていた。

 鉄錆の匂い。神聖なはずのその空間は、その匂いと人々の喧噪に包まれていた。

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