二章落日と
「ここ暫く様子がおかしかったのはその所為だったんですね、ウェルリーズ様。」
「分かりますか……。」
ウェルリーズは、目の前に机を挟んで腰を下ろす美女の言葉に項垂れる。
ここは呪術寮長官に執務の為与えられた部屋。かつては、ウェルリーズ自身も書類と一緒に埋もれていた部屋だ。
目の前に座るのは、ウェルリーズより一回りほどは年上で、また、彼女の後任として、長官位を守ってきた女、エリーズだ。幼き頃から天才といわれたウェルリーズにはやや力としては劣るものの、それを補って余りある、経験によって裏打ちされた、確かな実力と技術で、呪術師達をまとめている。
ウェルリーズが呪術師達の長として、その職務をこなしていた時代にも、副官として、何から何まで助けてもらった記憶しかないウェルリーズは、今なお彼女に頭が上がらない。
リアンの衝撃の発言から一週間が経ち、ウェルリーズはその間、ずっとリアンと会わぬように、会わぬようにと、彼を避け続けていた。その関係で、呪術寮の方へ逃げ込むこともままあり、エリーズも彼女の異変には気が付いていたに違いない。そんな中ウェルリーズが、ようやく誰かに相談しようと思い、その相手として選んだのがエリーズだった。
「その、どう…思いますか……?」
この一週間、主に件の出来事について話し終わった後、ウェルリーズはエリーズの様子を窺い見た。
さすがのエリーズも、この事態は予測していなかったのだろう。彼女は眉間に皺をよせ、頭を抱えている。天でも仰ぎそうであった。
エリーズは考え込んでいる様子ながらも、視線を彷徨わせたり、手を組み替え、落ち着かない様子だったが、暫くすると、ウェルリーズの方を真っ直ぐ見て、口を開いた。
「貴女はどう思っ……。どうしたい、と、思った?」
私ですか、とウェルリーズは目を瞬かせた。
どうしたい? 何を、彼との関係……を?
リアンをことをどう思っているか、それならこの一週間の間ずっと考えていた。
答えは出なかったが。
もちろん、彼を義息としてみる時、義母としてのウェルリーズは、確かに彼を愛している。それは、誰彼憚ることなくそう言える。
だが、彼が求めているのは、それ以上の感情だ。
しかし、それについて考えようとした時、まるで考えること自体を拒否するかのように、ウェルリーズは思考停止に陥っていた。
でも……。
「私……、陛下を裏切れません。」
今、ウェルリーズは王妃の立場にいる。王を伴侶とし、妻として彼の方を支える立場だと、ウェルリーズは思っている。
たとえ彼が何といおうとも、ウェルリーズは「裏切り」といえる行為に走ろうとはとても思えないのだ。
エリーズは、そう、とだけ返す。静かに凪いだような彼女の目からは、何を考えているのかはかり知ることはウェルリーズには出来なかった。
エリーズは困ったように微笑むウェルリーズを見て、嘆息し、ともかく、と言った。
「それならそう、とはっきり言って差し上げた方が良いわ。」
「そうですね……。」
それは、ここ一週間リアンと向き合わず、逃げてばかりいたウェルリーズを、少しだけ責める雰囲気がある。ウェルリーズも、それに関しては何も言えないので、彼女に叱られるまま、肩を竦める。
「ちゃんと向き合わないと……。」
ウェルリーズはそう一人ごちる。
そっとエリーズの方を窺うと、エリーズは心配げな顔でウェルリーズを見つめていた。
何にそんな心配げな顔をする必要があるのだろう。
その彼女の表情は、ウェルリーズがきちんと向き合えるのか、また、これからのウェルリーズとリアンの関係性など、近いものではなく、何か、もっと、先の、もっと重い何かを憂うものに見えた。
「母上……?」
控えめなノックの音共に入ってきたのは、母ウェルリーズだった。常ならば、体調はどう、とアザリスを気遣う言葉をまっ先に掛ける母は、部屋に入って周りを見渡したきり、ぽけっと、途方に暮れたように突っ立っていた。
アザリスの呼びかけで、ようやく我に返ったらしい彼女は、どこか緊張感みなぎる顔で、そろりとアザリスの方へと近寄る
「リアンは、いないの……?」
ああ、兄に用事だったのか、とアザリスは思った。それならばなんと間が悪いのか。
「つい先程出て行ってしまったんですよ、母上。」
「そ、う……。」
落胆したような声だが、表情はどこかほっとしているウェルリーズに、アザリスははてと首を傾げた。一体どんな用事なのだろう。そういえば、兄の様子もどこかおかしかったが。
「用事があったのでは?」
傍の椅子を引き寄せ、アザリスの枕元に座ったウェルリーズを眺めながら彼はそう尋ねる。椅子を持ってきたという事は、暫くはここにいるつもりであろう。
ウェルリーズは曖昧に微笑んで、急ぎではないから、と言う。
その割には、入ってきた時のウェルリーズの顔には、隠しきれない焦燥が浮かんでいた気がしたので、アザリスはてっきり急ぎの用事だと思っていたのだ。
だが、アザリスはそれ以上は追及せず、そうですか、とだけ返した。何か隠すような表情を、ウェルリーズはしていたが、アザリスはそれに気が付かないふりをした。
踏み込んではいけない気がした。
「まだ少し顔が赤いわね……。」
ウェルリーズは心配げな表情でアザリスの額に手を当てる。彼女の手はひんやりとしていて、熱が出て熱い顔には気持ちが良かった。昨晩も例のごとく熱を出して苦しんだのだ。
アザリスは大丈夫ですよ、とウェルリーズに微笑む。アザリスが熱を出したり倒れると、いつも母はこんな顔をして、病気のアザリス自身よりよっぽど辛そうだった。
ウェルリーズが、アザリスを病弱に産んでしまった、と負い目を感じているのは、アザリスはとっくに気が付いていた。王も、アザリスも、その事について仕方がないと、ウェルリーズのせいではないと思っているのに、彼女自身が彼女を許そうとしない。
そうして、いつも熱に苦しむ息子を見て、より辛そうな顔をする。
アザリスはそんな母の辛そうな顔が嫌だった。
それほどひどい熱でもないのに、そんな悲痛なかおしないで。
でも、それを声に出すことは、より、母を責めているような気がして、どうしても言うことが出来そうにないのだ。
だから、せめて笑って欲しいから、アザリスはウェルリーズの分も笑うのだ。
「今日は皆が来てくれますね。母上、兄上。それから、父上も。」
ウェルリーズが目を見開く。
「父上……? 陛下がお帰りに?」
「ついさっきですよ。」
ウェルリーズは呪術寮長官のエリーズの元へ行った帰りらしく、王の帰還を知らなかったらしい。
無理もないだろう。父王が帰城したのは本当につい先程で、アザリスの元へ顔を見せた時も、未だ旅装を解かず、二、三言葉を交わしただけで、すぐに出て行ってしまった。
長旅から帰ってきた後なのだから、今日くらいゆっくりすればいいのに、とは思ってしまうが、おそらく今頃王は、城を不在にしていた間に溜まった、書類やら報告やらの処理に勤しんでいる事だろう。
「また熱を出したのか、って言われちゃいました。」
アザリスはえへ、と照れたように笑った。
王はアザリスの病弱さを、悲しむでも憐れむでも、また、憤るでもなく、仕方がないと言って笑い飛ばす人だ。早く元気になりなさい、と言って部屋を出て行ったときも、からりと笑っていた。
そうなの、とウェルリーズもアザリスにつられるように穏やかに微笑む。彼女から悲しい微笑が消えた事にほっとした。
「私も挨拶に行った方がいいかしら。」
そう言いながらウェルリーズが話題を変える。無論、帰城した王のところへ、だ。帰還した王を出迎えられなかったのを気にしているのだろう、ウェルリーズは早々に立ち上がろうとした。アザリスはそれを見送ろうとしたのだが、すんでのところで、あ、と声をあげて、ウェルリーズの服を掴んで、彼女が出て行くのを止めた。
「母上、さっき兄上が出て行かれる時、父上に呼ばれてた、と仰ってました。今行っても会えないかも……。」
リアンが部屋を後にしたのは、ほんのつい先程のことだ。時間的にも、まだ会っているだろうことは想像に難くない時間だ。特に、侍従として父王の仕事の補佐もしているリアンが呼ばれた、ということは、単なる帰城の挨拶、というよりは、仕事の話が絡んでいる可能性が高い。
「そう……、なら、今はやめておくわ。」
そう言って、ウェルリーズは上げかけていた腰をもう一度落着けた。
こうしてベッドの上で漫然と日々を過ごすことを余儀なくされている中、こうして父王と兄が政治の中枢にいるのを羨ましく思う事も、やはり多かった。
自分もその場にいられたらいいのに。
そうは思っていても、自分の身体は上手く動いてくれない。いずれ王位を継ぐというのに情けない話だと、アザリスは思っていた。経験も知識もあの二人には遥か及ばない。
特に兄に対して、嫉妬を覚える事もままあった。自分の持たない丈夫な身体と、父王の補佐をそつなくこなせるその姿に。
だが、それはひどく嫉妬を覚えると同時に、羨望の対象であった。
兄のようになりたい。
アザリスが常に思っている事だ。
「そういえば、兄上は大丈夫でしょうか……。」
「……?」
不思議そうな顔でアザリスを見返すウェルリーズに、彼は困ったように肩を竦めた。
リアンが部屋を出て行った時の様子が、常になくおかしかったのだ。
努めて冷静であろうとしているように見えた。だが、その顔には焦燥が浮かび、どこか余裕がなくなっているようにも見えた。
その時の様子をウェルリーズに話すと、彼女も眉を下げる。
「それは、心配ね……。」
ふいにぬるい風が、部屋の窓を通って、二人の間を通り抜けていった。しばらく、その風がレースのカーテンを巻き上げるのを見ていたが、ウェルリーズが徐に立ち上がり、その窓を閉めた。
アザリスはその様子を黙って見ていたが、言いようのない微かな不安が胸を撫でていくのを感じた。
その夜。ウェルリーズは寝室で、手元の明かりを頼りに、薄暗い部屋の中、本のページをめくっていた。だが、その本の内容は殆ど頭に入っておらず、ただ時折思い出したかのように、読んでもいないページをパラリとめくっていた。
結局この、夜も更けた頃になるまで、王とは顔を合わせられず、相変わらずお仕事が好きね、と皮肉めいたことを思う始末だった。だが、なんとか、今日中にちゃんと顔を見たかった。そのため、ウェルリーズは本のページを手繰りながら、王が執務に一段落をつけ、寝室に戻ってくるのを待っていた。
寝支度をしてくれた侍女の淹れてくれた、飲み物もとうの昔に空になっている。
まだ仕事があるのかもしれない。あんまり起きていても、徹夜をする羽目になって、逆に心配をかけてしまうかもしれない。そろそろ寝るべきだろうか、とウェルリーズが思案し始めた時のこと。
静かに部屋の扉が開けられた。
ほとんど音も立てずに開けられた扉から、そろりと一人の壮年の男の顔が覗く。そして、振り返ったウェルリーズの顔を認めると、きょとんと目を丸くした。
「まだ起きてくれていたのかい。」
もうウェルリーズが眠っているもの、と思い込んでいたのだろう、壮年の男、王はそう言い、ふわりと微笑みながらゆっくり部屋に入ってきたが、声には驚きが滲んでいる。
元気そうな様子の王に、ウェルリーズはほっと安堵の溜息をもらす。そして、サッと立ち上がって彼に向き直ると、寝着の裾をつまんで頭を下げる。
「お帰りなさいませ、陛下。」
顔を上げ、にっこりと彼に微笑んでみせる。
ああ、ただいま、と返す王も、一月ぶりのウェルリーズが変わらず元気な様子であるのに、安心したような、笑顔を浮かべている。
そして、どちらともなく歩み寄ると、柔らかく抱擁を交わした。ウェルリーズは王の胸に頬をもたせながら、ああ帰ってきたのだ、と胸をなでおろした。旅は危険が多い。ウェルリーズも王が他所へと向かう際は、いつも旅の安全を、と祈っているが、呪術も万能ではない。不安は付きまとうのだ。
ウェルリーズのそんな内心など、お見通しなのだろう。王は、心配かけたね、と言いながら、彼女の頭を優しくぽんぽんと撫でる。
「あちらの御様子は如何でした?」
再会の抱擁をやめ、ベッドへと潜り込んだ二人だったが、甘い空気など欠片もないまま、お喋りに興じた。
火災に見舞われた東離宮の再建の様子の視察が、一応大きな目的だった今回の行幸だが、勿論、それだけで何かと多忙な王が一週間も彼の地には留まらない。
王のもう一つの目的は、東離宮に隣接する地域で起こった、大雨による堤の決壊、それによって起こった水災の現状を見に行くためだ。
水災の起こった当時は、それは酷い被害で、死者も大量に出たという。当時、王が自ら出向くことは、警備等々の面でもとてもできる状況ではなく、今回、東離宮の再建の視察、という大きな目的を立てることで、ようやく叶ったのだ。
「当時はかなり酷かったと聞いていたけれど、もうかなり、以前の活気ある空気に近いものを感じたよ。」
王の言う「以前」とは、水災の起こる前、彼が王太子であった時代のことだ。まだ王子であり、今よりは自由のきいていた時代には、国中を周っていたと聞いている。
王はぽつぽつと、様子を語っていたが、やがて、ウェルリーズが眠たげに目を擦るのを見ると、ウェルリーズの頭を撫でて、隣の彼女の身体を引き寄せた。
「詳しい話は、また。今日はもう寝よう。」
ウェルリーズもその言葉に頷くと、彼の懐に潜り込んだ。
「おやすみなさいませ、陛下。」
「おやすみ、ウェルリーズ。」
穏やかに微笑む王の顔を見ると、ウェルリーズは安心して目を閉じた。王が、自分の髪を撫でるのを感じながらウェルリーズは、夢の世界へと落ちていった。
王は、ウェルリーズが健やかな寝息をたてはじめたのを確認すると、彼も同じように目を閉じた。
その様子はさながら、幼い娘を寝かしつける父親のようであった。
王の帰城から早数日。夕暮れの空を横目にウェルリーズは回廊を歩いていた。季節は秋口にさしかかり、夜が近くなったこの時間は、風が吹けば少し寒い。風よけとして肩に掛けていた薄いショールを胸元で合わせ、廊下を歩く最中にも、ウェルリーズは自分の口から知らず知らずの内に、溜息が零れるのを感じていた。
ここ暫く、リアンと会っていない。
けじめをつけようと彼を探すようになった矢先、一向に彼が捉まらなくなったのだ。たまに顔を見るようなことがあっても、注意深く二人になるような隙を持たさないようにしている節があるのは、ウェルリーズの気のせいだろうか。
今日も今日で、毎日ほぼかかさず見舞いなどで、リアンと顔を合わせるアザリスの元に、一日中いたのだが、まるでウェルリーズがいるときは来ないようにしているのか、とでも言いたいぐらい、アザリスの部屋の扉は沈黙を保っていた。
アザリスの所での待ち伏せを諦め、部屋を出たのはつい先程のことだ。
だが、リアンがウェルリーズを避けているのだとすれば、それも無理のない事なのかもしれない。
ウェルリーズはリアンの想いにこたえることは出来ない。それは、彼自身も分かっているだろう。
次にウェルリーズがリアンと二人きりになった時には、はっきりと言わなければならない。
彼自身、結果が分かっていたとしても、それを言葉にされることに恐怖を感じるのかもしれない。
リアンはきっと傷つくだろう。以前のような親子の関係に戻れないかもしれない。
だが、それでも言わなければならない。
あの方は許してくれるだろうけれど。でも、だからこそ―――
ウェルリーズは城内を、これといったあてもなく歩いていた。アザリスの部屋からそのまま自室に戻っても良かったのだが、なんとなく、そうする気になれず、うろうろと彷徨って、気が付くと中庭に面する回廊を歩いていた。
こじんまりとした中庭を右手に見つめ、ぼんやりと歩いていた。だから、少しだけ気が付くのが遅れた。
視界に映った色に、はっとして正面を見ると、そこにいた。
「リアン……。」
視界に映った闇色は、橙の光に照らされて、より優しげな色に見えた。
彼は真剣な表情で庭を見ていた。
そんな真剣な表情の彼に声をかける、というよりは、零れるようにその名が口から紡がれた。
リアンもこちらに気が付いていなかったのかもしれない。はっとしたように、リアンはこちらを見た。
「あの日、以来…ですね。」
あの日―――リアンから想いを告げられた日から、もうすでに幾週間も経っていた。
久方ぶりに見た彼は、少しだけやつれているように見えた。王が帰城し、彼もその補佐にまわっている。ここ数日間、本当に忙しかったのだと悟った。
「少し痩せた……?」
顔色もどことなく悪い気がした。
大丈夫なの、とウェルリーズがリアンに一歩近づくと、彼は首を軽く振りながら同じだけ下がった。
「もう仕事も普段どうりに戻りそうですから。」
服の隙間から言える手首や首筋が、少し骨ばっている。
心配には及びません、と言いながら淡く微笑むリアンは、ひどく儚くて、ともすれば消えてしまうのでは、と思うほどだった。
それが恐くなって、ウェルリーズはリアンの方へ手を伸ばしかけて、やめた。ほんの一瞬のことだ。おそらくリアンも気が付いていない。
だが、どことなくウェルリーズの中に気まずさが残り、目を伏せ伸ばしかけたその手を見た。
今の、不安定な関係になってしまった二人にとって、この行動をする資格は無いような気がした。これは中途半端な優しさに、彼を酷く傷つける「優しさ」になると、ウェルリーズは思った。
「……何を見ていたの?」
ふっとウェルリーズは、先程リアンが見ていた庭を、その先の空を見上げた。
その先を見ても、朱に染まった空があるだけで、リアンがあんなにも真剣な表情で何を見ていたのかは、ウェルリーズには分からなかった。
「―――っ。」
リアンが息をのんだ。
しかし、結局は何も言わぬまま、その口を閉じた。
何を言おうとしたのだろう。ウェルリーズが彼の方を見ると、こちらを向いていた彼と目が合った。
リアンは薄く笑っている。
だが、彼の黒い瞳には、悲哀のような、切ないものが浮かんでいる。
どうしてそんな目をしているの……?
リアンは依然として何も言わない。だが、その優しい闇色の瞳は、どこか悲鳴を上げるような哀切が浮かんでいる。
それなのにどうして、微笑むような表情なのか。
ウェルリーズにはその全てが痛ましく、そして……
「リ……」
ウェルリーズは思わず、彼の名を呼び掛ける。
だが、それは最後まで言葉にならないまま、途中で消えていった。
それは、突然リアンが弾かれたように顔を上げたからだ。
庭の方へ睨むような視線を投げ、彼はひゅと息をのんだ。
「―――!」
リアンは声にならぬ叫びをあげ、ウェルリーズを後方へ突き飛ばした。
ウェルリーズには何が起こったのか分からなかった。
ただ、突き飛ばされる直前の彼の顔が、酷く悲愴な表情で、そればかりに気をとられ、ウェルリーズは尻を強か打ち付けた。
暫くはその痛みに呻いていたが、はっと顔を上げると、そこに立っていたはずのリアンの姿が無かった。
リアンは……?
そう辺りを見渡したウェルリーズは、庭と反対の方へと視線を向けた。
心臓が止まってしまったかと思った。
「―――っ、リアン!」
そこには床に倒れるリアン。
そして、彼の左腕に突き刺さった矢。
溢れる血。
それは、夕日の朱にも負けぬ、鮮やかすぎるほどの、赤。