星降りの夜に

 満天の星空が、眼前に広がる。


 小さく瞬く星々は、少女の頭上で数えきれぬほどの光を放っていた。

 夜も随分と更け、丘の上にある一本の木にもたれて空を見上げていた少女の周りも暗く沈んでいる。

「もうすぐ……」

 少女のいる丘から少し下がった町の広場には、明かりが煌々と焚かれ、祭りの気分に皆浮かれている。

 少女もついさっきまでは、その中に紛れていた。楽しい空気に包まれて、楽しくなれるかと思っていた。

 だが、ふとした瞬間に我に返ってしまった。

 それまで少女を包んでいたはずの浮かれた気分は、一気に異質なものとなり、少女は自分が異物になってしまったような、そんな空虚感を覚えた。

 明るく賑々しい雰囲気が酷く息苦しく、少女は逃げるようにして、その喧騒に背を向けた。

 そっと姿を消した少女に、きっと誰一人気付いてはいないだろう。

 そんな時に、唯一いつも気付いてくれたあの少年は、もう、いなかった。



 その時、ゴーンと向かいの山にある礼拝堂の荘厳な鐘の音が鳴り響いた。

「……………」

 その音の余韻が消える。

 消えると、それに成り代わるようにして、ふわりと雪のようなものが音もなく降ってきた。

 雪のようなそれは、雪とは違う。淡くほのかな光を放っていた。


 これは、星。


 年に一度だけ、あのどこまでも広い夜空から降ってきて、だが積もることなく、いずこかへと消えてしまう。

 少女はその光から逃れるように、視線を下げた。だが少女の俯く足元に、その星はふわりと降ってくる。

 幾度か瞬いたそれは、まるではじめから何も無かったかのように消えてしまった。

 少女は、その様をじっと見ていた。

 だが、次第にそれも難しくなっていった。視界が滲んで、全てがぼやけていく。

 ついには、星が消えてしまった地面に、ぱたりと水滴が落ちた。

「うそつき……」

 少女の目は、もう辺りに降りゆく星たちを見てはいなかった。

 少女の目に映るのは、一月前に届いたあの手紙の幻影だ。


 一年前、必ず帰るから、と約束して戦地へ向かった彼。

 月に何度も交わした手紙が途絶えたのが半年前。

 それでも、あの約束だけを胸に、少女は待っていた。

 きっと、一生だって待ち続けただろう。

 だが、それは一月前の事。

 少女に二通の手紙が届いた。

 一つは、それまでは混乱に紛れどこかへ行ってしまっていたのだろう、随分前に出された彼からの手紙だった。

 次の星降りの夜までには帰る。

 そう、書かれていた。

 じゃあ、二通目はきっと、もうすぐ帰るという手紙に違いない。

 少女はそう、信じていた。

 いや、信じたかっただけなのかもしれない。


 二通目は、ひどく簡素な手紙だった。

 必要事項が書かれただけの、国からの通知書だった。


 あの時の絶望を、少女は死ぬまで忘れられないだろう。

 空っぽの棺が土に埋められていく。

 皆が哀しみ、涙する中、少女だけは呆然と、笑顔さえ浮かべて、その様を見ていた。

 ―――空の“木箱”を埋めて、どうしたいのだろう。

 少女は笑っていた。

 そんな少女を憐れむように見る、皆の顔だけが少女の脳裏にこびりついた。



 あの日から少女は一粒だって涙を流さなかった。

 全ての現実が空虚で、どこか絵空事のようだった。


 今、この時まで。


 少女はぼろぼろと零れる涙を、拭うこともしない。いや、出来なかった。

 手紙の約束の日。

 ようやく、少女の周りが現実味を帯びる。

 少女はぐちゃぐちゃの感情のまま、叫んだ。

「うそつき! うそつき、うそつき、うそつき!! うそ、つき………」

 少女は地面にへたり込み、泣き続ける。


 次の星降りの夜には、って書いたじゃない。


 必ず帰る、って言ったじゃない。


 どうして、そばにあなたがいないの。


 どうして、わたしはひとりきりなの。


 どうして―――



 ―――降ってきた星を掴めると、願いが叶うんだって


 過去の記憶。

 その中から響いた懐かしい声に、少女ははっと顔を上げた。

 あれはいつの事だっただろう。

 二人ともが、うんと小さな頃だ。

 二人で必死になって掴もうとして、でもひらりと逃げてしまって、結局捕まえられなくて―――

 幸せだった頃の思い出に、また涙が零れる。

 少女はその思い出に縋るように、手を伸ばした。

 仰向けた手のひらを差し出す。

 星たちは、ふわりふわりと降ってゆく。

 そしてその中のひとひら。

 淡く瞬くその星が、まるで吸い寄せられるように、少女の手のひらに着地した。

「……………っ」

 少女はその星が逃げてしまわぬように、そっと手のひらを閉じる。

 星は逃げることなく、少女の手におさまる。

 少女はぎゅっとそれを握り込んで、胸に抱いた。


 そして、絞り出すように声で、呟いた。

「かえって、きてよ……」

 そして、もうこの世界のどこにもいないだなんて、嘘だと言って、だきしめて―――

 子供のおまじない。

 それを本気で信じていたわけではない。

 それでも、それでも、そんなものにだって、すがりたかったのだ。



 やはり、奇跡など、起きなかったのだ。

 再び、あの日の絶望感に襲われる。

 その、時だった。


 ザリッ、と足音がした。

 少女が顔を跳ね上げる。

 いや、分かってる。

 きっと少女がいない事にようやく気が付いた誰かが、迎えに来ただけ。

 それだけに、きまって―――


 少女の唇が震える。

「う、そよ……、ありえない。だって―――」

 少女は、うわ言のように呟く。

 けど、あれは、どう見たって……


 現れた男は、困ったように笑った。

「―――――ただいま」


 少女の口に出さなかった願いも叶ったのは、そのすぐ後のこと。

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