鳴かないカナリア
その国には麗しい美貌と美しい歌声を持つ寵妃がいた。
異国の歌い手であった彼女はその声と容姿で国王を虜にし――そして、御子を授かった。
しかし彼女から生まれ落ちた姫は、ついぞ産声を上げることはなく……。
(いっそ死産であれば、「悲しくも美しい物語」であったかもしれないのにね)
寵妃から生まれた王女ルチアーナは、窓に映る母そっくりの自分の顔を見て自嘲した。
金のゆるい巻き毛に、ルビーのような赤い瞳。まさに生き写しのような姿だ。
しかし――。
ルチアーナは自身の喉元に指を滑らせた。
(「鳴かない
母とは違い、この喉は美しい歌声を響かせることはできないのだ。
いや、歌声だけではない。
ルチアーナは生まれてから一度も声を発したことがなかった。
産声を上げることもなく、成長した今でさえ口を開いても、はくはくと唇が動くだけだ。
言葉を発することができない。
そんなルチアーナにつけられた渾名が「鳴かない
寵妃と似ているのは顔ばかり。王女――政略の道具としても欠陥品。
そんな娘に、母と国王たる父はすぐに興味を失った。
今は離宮の片隅に追いやられ、生存確認のためか時折雑用を片付けに現れる使用人を除き、ほぼ一人で暮らしていた。
(生かされているだけでも、「幸運」なのだけれど)
生活に困ることはない。望めば――少々面倒そうな顔はされるものの――なんでも手に入る。いないもののような扱いはされるが、虐げられているわけでもない。
ただの歌い手であった母の元に生まれていたならば、きっと早々に捨てられて最早この世にはいなかっただろう。
(だから、この生活に感謝しなければ)
そう、頭では思っているのだが、それでも時折――無性に寂しさを覚える時もあった。
(ほんのたまに、夢をみることもある)
「やあ、君がルチアーナ姫かな?」
(そう、こんな風に誰かが突然訪ねて来て――)
ルチアーナは、はたと我に返った。
今、想像とは思えぬほど、はっきりと誰かの声を聞いたような。
まさかと思いつつ、ルチアーナは振り返る。
「あ、よかった。聞こえてたか」
そこには見覚えのない男がいた。
(誰……?)
短い茶髪に緑の瞳。平凡な顔立ちの男だが、着ているものは上等で、強盗の類ではなさそうだった。
彼は人好きのする笑顔を浮かべる。
「うん? 僕? あれ、お父上から聞いていない?」
(一体、何の話を……)
こちらの困惑が伝わったのか、彼は首を捻った。
「ありゃ、聞いてないのか。……それなら、見知らぬ男にはもっと警戒した方がいいと思うよ、お姫様」
(確かに……。でもまず、どうやって入って来たのかしら……)
「玄関の鍵、空いてたよ」
(!? 嘘!)
「ほんと。呼びかけても誰も出てくれないから、悪いなーとは思いつつ入っちゃった」
(全然、聞こえなかった……。今日は誰もいないのに)
「え、不用心な……。女の子一人でこんなとこに住んでるの?」
(通いのメイドしかいないから……。――って、あれ?)
ルチアーナはようやく、自分がおかしな状況になっていることに気付いて目を瞬かせた。
「どうかした?」
おかしな状況――、見知らぬ男が家に入り込んでいることではない。
まあ、それも十分「おかしな」気はするが。
(わたし今、普通に会話してた……?)
ルチアーナがじっと彼を見つめると、男はニヤリと笑う。
「改めて自己紹介といこうか」
男はコホンと咳払いをして、大仰にお辞儀をしてみせた。
「はじめまして、王女殿下。僕はルーフェル・ホロニア・リオン・アペシュタード。君を僕の妻にするため、迎えにきた者です」
(……はい?)
それは隣国の王弟の名前だった。
彼はお茶目に片目を瞑り、目を白黒させるルチアーナの手を取って、その指先に口付ける。
彼が、失われて久しいはずの古代魔法の力を生まれつき持っていること。
そして、その力でルチアーナの思考を読み取ることができたのを知るのは、もう少し後の話。
「鳴かない
そう言ってルチアーナが幸せに笑うのは、もっともっと未来の話だ。
お題「口」