愚かな王女と最後の

「……終わったの?」


 日が落ちはじめ暗くなりつつある部屋の中。

 そこへ静かに入ってきた己の騎士に、エディナは一人用のソファに腰掛けたまま、ゆったりとそう問いかけた。

 彼はエディナの前に膝をつくと、(こうべ)を垂れる。


「はい、我が主の望みのままに」

「……そう」


 騎士からは、仄かな血臭がする。

 よく見れば彼の服、その裾にほんの一滴紅い血が飛んでいた。


「少しは気が晴れたかしら」


 今日の空模様でも聞くように、エディナは淡々と問う。


「……私情で行ったわけではありません、我が主」


 彼からの返答には珍しく間が空いたが、内容そのものはいつものように平坦で、つまらぬものだった。


「そう、残念ね」


 騎士からの返答はない。エディナはそのことに気を止めるでもなく、窓から覗く夕闇に染まりつつある空を見た。


 本当に、残念だった。


 エディナは空から目を逸し、(こうべ)を垂れ続ける己の騎士を見下ろした。


 彼は、かつてこの国の捕虜だった男だ。比類なき剣の才をかわれ、王女であるエディナの騎士となった。

 ――決して裏切れぬように、薬で洗脳をされて。

 そして捕虜となるさらに昔には――、既に今はもうどこにも存在しない亡国の王子、それがこの男であった。


「スヴェリオ王子」


 騎士の肩がぴくりと震えた。だが、言葉を発することはない。

 エディナは構わず続けた。


「亡国を滅ぼし、()の国の王族を皆殺しにした者……その血族は全て死に絶えた。あなたの手によって。そうよね?」

「仰る通りです」


 なんの抑揚もない返答にエディナは少し、眉間に皺を寄せた。


(わたくし)の騎士、顔をお上げなさい」


 騎士がゆっくりと顔を上げる。表情を隠していた前髪がさらりと横に流れて、その整った顔が露わになった。


「嘘はいけないわ。正直にお言いなさい」


 相変わらず、男の表情に変化はない。しかし、ほんの少し逡巡するような気配を見せる。

 だが結局彼は、エディナの望む答えを返した。


「エディナ王女、貴女を除いて全て殺しました」

「わかっているのね。なら問うわ、(わたくし)の騎士。下した命はなんだったかしら」

「……『お前の(かたき)の直系血族を殺し、城に火を放ちなさい』」


 エディナは騎士の頬に触れる。彼の言葉は寸分の狂いもなく、自身が彼に与えたものだった。

 だからこそ分からない。


「ならばどうして、お前はここで跪いているの」

「城には既に火を放っております」


 騎士の言葉を裏付けるように、ふっと煙の匂いがした。火がもう近くまで来ていることを知らせるかのようだった。


「……(わたくし)の命に背くつもり?」

「城が焼け落ちるまでには、貴女も死ぬ。命を背くことにはなりません」

「――お前もここで死ねと命じた覚えはないわ」

「逃げろとも言われておりません」


 エディナはそれ以上、言葉を続けることが出来なかった。ただ途方に暮れて、淡々とした様子を崩さない騎士を見つめる。


「……どうしてなの? 復讐を果たせば、あなたはもうここに用はないはずよ。――薬なんて、とっくに切れているのでしょう?」


 その時、はじめて男の表情が変わった。

 驚きではない。でも、それまでの無表情でもない。だがたしかに表情は変化した。

 人形が人間になった、そんなことを想起させる。

 男は――スヴェリオは、立ち上がった。そしてエディナを閉じ込めるように、ソファの肘掛けに両手をつく。


「いつ?」


 いつから気が付いていたのか、という短い問いに、エディナは小さく首を横に振った。


「確信したのは、つい先程よ」


 答えに窮するような様子など、今までに一度たりとも見たことがなかったのだ。

 だからこそ、それまで抱いていた「もしや」が確信に変わった。


「ねぇ、(わたくし)の騎士……、いいえ、スヴェリオ、と呼んだ方が良いのよね。あなたは私を愚かだと思うかしら」


 エディナは彼の(かたき)――つまりは、自分の家族を殺すよう命じた。


「愛したあなたを解放するためだけに、こんなことをする(わたくし)は……」


 スヴェリオ王子の復讐をお膳立てし、彼をこの国から解放する。

 ただそれだけのために、エディナは「(かたき)の血族を殺せ」と命じた。


「……お前が『愚か』なら」


 スヴェリオが口を開く。

 エディナは初めてこの男の声を聞いたような気がした。


「きっと、俺も『愚か』なのだろう」


 スヴェリオの相貌がすぐ近くにあった。エディナはそうするのが自然であるかのように、目を閉じる。


「…………、」


 唇にやわらかな何かが触れる。

 そこから感じる熱が増すのに従って、煙の匂いも濃くなっていった。


「『(わたくし)の騎士』……、そう呼ばれるのは嫌いではなかった」

「…………そう」


 ほんの少し目を開ければ、そこには初めて見る彼の穏やかな顔があった。

 エディナも自然と肩の力が抜ける。


「ならば、これからもお前は『(わたくし)の騎士』よ……」


 互いにもう一度目を閉じる。

 きっと次に、それを開くことはないだろうけれど。

お題「後始末」

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