笑わない姫
彼女は笑わない。
美しい絵画を見ても。可憐な鳥の囀りを聞いても。芳しい花の匂いをかいでも。甘いお菓子を食べても。すべらかなシルクの布を触っても。
私が姫の護衛官として傍に控えるようになってから早五年が経つ。だが私は、いまだに彼女の笑顔を見たことがなかった。
いや、笑顔だけではない。
私は彼女が怒るところも、泣くところも、見たことがなかった。
「アベル」
「はい、姫様」
始終無表情の姫は、涼やかな声で私の名を呼ぶ。
「また、花を摘んできてくれるかしら」
私は少し前に、彼女のために野花で作ったブーケを渡したのを思い出した。
あの時も、彼女は変わらず表情を変えることはなかったが――
「姫様のためならば、喜んで」
「そう」
私の返答に対する姫の返事は素っ気ない。
だが私は知っている。
彼女があの花束をそれは大事にしてくれていたこと。
美しい絵画も、鳥の囀りも、花も、菓子も、シルクのドレスも、とても大切に思っていること。
だから私は彼女の分も笑った。
泣くことも出来ない彼女が、いつか悲しみにくれた時、ともにいられるように。
お題「感情表現」