わたしはただ 大切なあなたの傍にいたいだけだったの――
短編
魔法使い様の押しかけ妻
亡霊に命を狙われる元王女は恩人の自称奥様となりました
あらすじ

 高名な魔法使いの妻として、森の中の屋敷に住むラナリア。

 愛する彼との生活は、とっても楽しく幸せな日々――。しかし、彼女にはとある秘密があった。

 それは、旦那様の守る家から一歩でも出ると、たちまち死んでしまう……。そんな呪いにかかっていることだった。

 このままでは二度と太陽の元を歩けないかもしれない――

 旦那様はラナリアに選択を迫る。

 終生、外を歩けないことを覚悟するか、それとも――呪いを解くため封じられた記憶の蓋を開けるのか。ラナリアの選択は――

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タイトル魔法使い様の押しかけ妻 亡霊に命を狙われる元王女は恩人の自称奥様となりました
タイトル(かな)まほうつかいさまのおしかけづま ぼうれいにいのちをねらわれるもとおうじょはおんじんのじしょうおくさまとなりました
著者名雪野深桜
著者名(かな)ゆきの みお
刊行日2023年05月05日
種別短編
ジャンル恋愛ファンタジー
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本文サンプル

「――っ、やだ、来ないで!!」

 雨の降る夜の森を、亜麻色の髪をした少女は一心に駆けていた。

 全身ずぶ濡れの少女を後方から追い迫るのは、黒い影のような無数の手。

 あれに捕まってはいけない。捕まってしまえば――

 その時、少女の視界に一軒の屋敷が映った。

「あった!」

 きっとあれが「森の魔法使いが住む家」だ。世界でも有数の力を持つ魔法使いならば、助けてくれるはず。そんな一縷の望みに賭けて、彼女は走っていた。

「おねがい、助けてっ――!!」

 足を縺れさせながら、少女はその屋敷に滑り込む。

 雨にぬかるんだ地面に倒れ込み、地べたに手をついたまま後ろを見れば、屋敷の境で黒い手が動きを止めていた。透明な壁があるかのように、ぺたぺたと何もないそこを触っている。だが、こちらへは近付けないようだった。

「たす、かった……?」

 恐怖が少しづつやわらいでくると、少女は途端に強い疲労感を覚える。森に入ってから、ほぼ休むことなく走ってきたのだから無理もない。服も身体も泥だらけだったが、そんなことは気にもならないほど、疲れきっていた。

 いけない、と思いつつも急速な眠気が襲ってくる。

 少女は屋敷の壁に背を預けて、まどろむ。落ちてくる目蓋にどうしても抗えない。

「――おい……」

 微かな声に、重いその目蓋を押し上げる。

 そこには玄関から出てきたらしき男が立っていた。背が高く長い銀髪が印象的で、綺麗だなと思う。

 だが、彼の声に応える気力が保たずに、少女はそのまま意識を手放した。




「今日の晩御飯は〜、庭のハーブを入れたハンバーグと、人参の炒めもの。それから、昨日エマさんがくれた野菜のサラダに、コンソメスープです! 時間になったら忘れず降りてきてくださいね、旦那様!」

「……ああ」

 夫が言葉少なに頷いて、二階にある彼の自室へと戻っていくのをラナリアは見送る。

 その姿が消えるまで長い銀髪の垂らされた背中を見つめた後は、上機嫌にスカートを翻してキッチンへと戻った。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、昼食の片付けをこなしていく。こんな生活も二年目ともなれば慣れたものだ。

「明日は買い出しの日よねぇ……。あ、小麦粉を多めに買ってきてもらおうかな。エマさんにお野菜のお礼もしたいし、ケーキか何かを焼けば喜んでもらえるよね……。それなら干しブドウもほしいかも」

 ひとり言を呟きながら、友人の快活な笑顔を思い浮かべる。その友人エマは街に住む三人の子を持つ女性で、たまに森の中にあるこの家まで来ては、喋り相手になってくれていた。

 ラナリアもこの屋敷に住みはじめて、既に二年が経った。本来なら彼女以外にも知人の一人や二人できていそうなものだ。しかしとある事情から、ラナリアはこの敷地から出ることができないでいた。

「いい天気……」

 キッチンの小窓からは、陽の光に照らされた森が見える。

 だが、屋敷をぐるりと取り囲む塀を一歩でも出れば、きっと自分はそう長くは生きていられない。

 故郷から逃げ出した時から絶えず追ってくる、影のような黒い無数の手は、視認できないだけで、今もそこにいるのだ。

 恐怖が甦りかけているのに気付いたラナリアは、ぷるぷると首を振った。

「旦那様のおかげで、安全に暮らせてるんだから感謝しなくっちゃ!」

 ラナリアの旦那様は、強い力を持った魔法使いだ。

 雨と泥に濡れたラナリアを救い、今もこうして守ってくれている、大好きな人。

 彼のおかげで、屋敷にいる限り黒い手を見ることもなければ、命を脅かされることもない。

 なによりとてもとても大切な人と共に過ごせる日々は、ラナリアにとってこの上ない幸せだった。


 ラナリアはもう存在しない国の王女として生まれた。

 その国は小さいながらも豊かで、国民皆が幸せそうに暮らす長閑な国だった。城の部屋からは砂丘と広い湖が見え、その水面に朝日が反射して輝く景色がとても美しく――。それは今も脳裏にはっきりと刻まれている。

 けれどもう、あの光景を見ることも出来ない。

 だが、どうしてそうなってしまったのか、どうしてラナリアがあの黒い手に追いかけられているのか、その鍵となる記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。

 日常がぷつりと途切れ、次に思い出せるのは、もう森の中にいた時のこと。魔法使いが住む家へ行かなければ。それだけを胸に必死に走っていた。

 何も分からない。

 けれどそれで構わないのではないか。ラナリアはそう思いはじめている。

 故国が滅んでしまったのは、紛れもない事実。それから、自身が今あるこの生活を愛しているのも事実。

 消えた記憶が戻ったところで、どうなるものでもなく――、無駄に苦しむだけのように思える。

 だからこれでいいのだと、ラナリアは窓に映る自分の顔を見つめ返した。




 あの日は、酷い雨が夜中じゅう降っていた。

「……ここは」

 パチパチという暖炉の火が燃える音に、ラナリアは目を覚ます。身動ぎすれば、ギィという音と共に身体が揺れて、自分が安楽椅子に座っていることに気付いた。

「あ、目が覚めたかい?」

 そこには見慣れぬ――ラナリアより少し年上らしき、快活に笑う女性がいた。

「雨の中泥まみれで玄関前にいたって? 何があったのか知らないけど、大変だったねぇ」

 彼女は水に濡らした布をきゅっと絞って、ラナリアの頬に当てた。そのまま、首筋や額を拭っていく。

「あの……」

「ああ、服を着替えさせたのはあたしだから、心配しないで」

 包まれた毛布の隙間から見える服の端は、たしかに見覚えがなかった。

 あたたかい……。

 頭がぼんやりして、とろとろと眠気が忍び寄って来る。

 わたしはここに、いったいなにをしに……。

続きは本編にて...
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