長い銀髪と澄んだ青の瞳を持つ
麗しき聖女がいる


自分のせいで呪いを受けた妹アンに代わって、聖女を演じるレイモンド。
女のフリをするため、薬で無理やり成長を止めた身体は悲鳴をあげていて、腕の良い薬師を頼ることに。
しかし、その薬師を信じるか否かで、自身の護衛セイルと仲違いしてしまう。
そんな時、アンの症状が急激に悪化して――!?
選ぶべきは「愛」か「情」か……。
身代わり聖女(=男)と護衛官の織りなす、ボーイスラブファンタジー。
タイトル | 身代わり聖女奇譚 呪われた妹にかわって聖女になった僕ですが、十年たった今も変わらず聖女です |
タイトル(かな) | みがわりせいじょきたん のろわれたいもうとにかわってせいじょになったぼくですが じゅうねんたったいまもかわらずせいじょです |
著者名 | 雪野深桜 |
著者名(かな) | ゆきの みお |
刊行日 | 2022年08月25日 |
種別 | 短編 |
ジャンル | BL |
「お兄さま、それに触っちゃダメ!!」
幼い妹の叫び声が聞こえた時には、全てが遅かった。
ああ、なんて迂闊なことをしたのだろう。
動きの鈍い身体を引きずるように床を這って、倒れたまま動かない妹の手を僕は掴んだ。
「アン……」
部屋のテーブルの上に置かれていた壮麗な装飾の施された箱は、なにか良くないものだったらしい。
それに触れようとしていた僕の手を、彼女は叩き落として箱に触れてしまった。
「アン、目を覚まして……」
きっと僕もその「良くないもの」の影響を受けているのだろう。身体を蝕むような、だるさが襲ってくる。
意識を保っている僕でさえこうなのだから、妹はこのままでは死んでしまうのではないだろうか。
ピクリとも動かぬ彼女の手を握りしめる。
どうか神様、僕はどうなったっていいから、妹だけでも助けて――。
その願いは届いたのか、それとも届かなかったのか。
真偽はわからぬまま、僕は意識を失った。
*
神聖なる大聖堂。そこにひとりの美しい少女がいた。
薄絹を重ねた繊細な意匠が施された裾の長いドレスに身を包み、豊かな銀糸の髪を背に垂らす。澄んだ青の瞳には、深い慈悲と聡明さを湛えていた。
「よろしいですか、聖女様」
傍に控えていた護衛の男が、聖女と呼ばれた少女の前にある扉に手をかけながら問いかける。
聖女は自分の胸に手を当てて、一度深呼吸をした。きっと今日も大丈夫と、不安に覆われそうになる心を宥めてから、少女は護衛の青年に頷き返す。
それを見た青年は、ゆっくりと扉を開けた。
その途端、ワッと歓声が少女の身を包む。
「聖女様!」
そこに詰めかけるのは、麗しい聖女の姿を一目見ようと詰めかけた民衆の姿だった。
聖女は微笑みを浮かべながら片手を上げて、その歓声に応える。それだけで、とてもありがたいものを見たかのように、ほぉと溜息をつく者もあった。
本当の自分は、そんな存在ではないのに。
自身が「聖女」と呼ばれるようになって早十年。
こんな光景も最早、見慣れたものではあった。しかし図らずとも彼らを
聖女とは、この国の「救いの象徴」として代々人々から慕われる存在だ。神から直々に選ばれ、その証として額には五枚花弁の花模様が浮かぶ。そうして選ばれた聖女たちは、力を授けられ、神の声を聞くことができるのだという――。
力や声といったものの真偽は不明だが、そんなことは関係がない。この国の民たちは、聖女が存在してくれているだけでありがたいのだと、彼女たちを崇めている。
そんな神にも近いような彼らを自分の目で見ることができる――、そんな機会が時折もうけられていた。それが今日のように聖女が、大聖堂から姿を現す日だ。
「あぁ、聖女様……。なんとありがたいことでしょうか……」
今聖女が立っているところからほんの数段下がったところにいた老女が、目に涙を浮かべて、こちらを拝むようにして見つめていた。
「今日は遠いところからお越しですか、奥さま?」
その老女にゆっくりと近寄った聖女は、彼女の手を握った。
「えぇ、えぇ……、そうなんです。もう老い先短い身ですから、冥土の土産に聖女様のお顔を一度でも見たくて……」
聖女に手を握られたことで更に感極まったのか、今度は涙をぽろぽろと零しながら頷いている。
「そうでしたか」
こんな風なことを言ってこの場所に来る者は初めてではない。いやむしろ、この王都近郊に住んでいる人々を除けば、こういった理由で聖女に会いに来る者はかなり多かった。
「『冥土の土産』などと言わずに、どうぞ長生きなさってください」
「聖女様……、ありがとうございます……!」
聖女は彼女の手を最後にもう一度ぎゅっと握って、離した。微笑みを絶やさぬまま、その隣へと視線を移す。周囲に集まった人々に対して、同じように声をかけていくのだ。
そうして、五人ほどに声をかけ終わった頃、後ろからそっと近付いてきた護衛の青年に声をかけられる。
「聖女様、そろそろお時間です」
「……もう少し駄目かしら? まだこんなに来てくださった方々がいるわ」
ここに集まった一人一人全てに、声をかけて回れるわけではない。それは分かっていたが、聖女はまだ話をしていない彼らを見渡して眉を下げた。
「ご容赦ください」
「…………わかったわ」
仕方がないと溜息をついて、聖女は人々から一歩距離を取る。
「それでは皆さまに、神の祝福がありますように」
そう祈りを捧げて、聖女は踵を返した。
名残惜しげな声を背中に聞きながら、青年が再び開けてくれた扉の中へ入っていく。その扉が完全に閉じられると、喧騒は一気に遠くなった。
もうここには自分と護衛の青年しかいない。
そう思うと、ふっと足の力が抜ける。ぐらりと傾いた身体を青年が支えてくれた。
「ありがとう、セイル……」
鍛えられた腕に掴まりながら、その胸に顔を伏せてほっと息をつく。
「それに今日は、早めに切り上げてくれただろう? 助かったよ、本当は少し立っているのが辛かったんだ……」
「あまり無理をしないでください」
「……ありがとう。でも、妹の代わりをできるのは、僕だけだから」
やわく微笑んでみせると、セイルはその深い紫の瞳に一層心配の色を滲ませて、聖女――レイモンドの額に手を当てた。
ひんやりとした彼の手が心地良くて、レイモンドは目を閉じる。
自分は「本物の聖女」ではない。セイルの手が触れる下にある花模様も偽物だ。
本物の聖女である妹アン。彼女の身代わりを務め、十年が経った。
長くともほんの数年で終わるはずだったこの役目を、無理に伸ばして今に至る。最早、引き返せない、この場所まで。
「――今日は一段と顔色が悪いですね……。やはり一度、別の医師に診てもらっては?」
「そう、だね……」
セイルの声に顔を上げれば、周囲に会話を聞かれないようにと、彼の顔が寄せられている。そのせいで、彼の濃い茶の髪がレイモンドの頬にかかっていた。レイモンドはそれを彼の耳にかけてやりながら、苦笑を口元に浮かべる。
この身体に、数年前から起こっている言いしれぬ不快感は、日々緩やかに悪化の一途を辿っていた。しかし、事情を知る専属医には、原因不明だと匙を投げられた後だ。
一国を巻き込んだ重大な隠し事を持つ身としては、手当たり次第に診てもらうということもできない。
口が固く、信頼できて、できるならば国や聖女と関わりのない人間――、その中でも腕のいい者を探すのは、中々に難しいのだ。
「いい人材がいるとよいのだけれど」
レイモンドは、もう大丈夫とセイルから一歩距離を取ると、今度は聖女らしく彼の手を取って、大聖堂の奥に向けて歩き出した。