第一話シルヴィーの精霊使い
第三章シルヴィーの『柱』
な、なんでこんなことに…。
ルチアは行き同様、前にいる人物の背にしがみ付いて、馬上で揺られていた。ただ、前にいる人物は、帝都で分かれた父ディルバではもちろんなく、同性のスメラでもなく、残る一人、イーデだった。
初対面のスメラよりは、という気遣いの元か、ルチアをイーデの後ろに乗せることを、はじめに言い出したのは彼だった。その時は何とも思わなかったルチアだったが、ルチアが先に乗った馬に、イーデが乗った時点で、ルチアははたと気が付いた。
イーデの背中に抱きつかなくてはいけないことに。
はじめはおっかなびっくりといった様子で、服の端を掴んだルチアだったが、イーデにこっちの方が恐いからしっかり掴まれと言われ、現在の、彼の背後からしっかり抱きつく格好になっていた。
こうやって馬に相乗りするのは、思い返せば初めてのことだった。
背中、広い…。いつの間に、こんなになってたんだろ……。
ルチアは、自分とそう変わらない身長のイーデが、自分よりもずっとしっかりした体格だという事に、初めて気が付いた。線が細く見えがちなイーデも、男なのだということを、ルチアは改めて意識した。
けど、なんだか、恥ずかしい…!
ルチアは、ぽっと顔が熱くなったのを感じた。しかし、幼い頃から一緒のイーデに、意識させられているのが、ルチアはなんとなく悔しくて、イーデの胸にまわした手をぎゅっと握りしめた。馬上ではさしたることもできない。
しかし、それを不安か何かと勘違いしたと思われるイーデが、片手で手綱を握りながら、もう片方の手でルチアの手をきゅっと握った。
それにより、さらに鼓動が早まるのを感じたルチアは、赤い顔でむっとイーデの後頭部を見上げると、そのままイーデの背中に向かって、頭突きをくらわせた。
一瞬イーデの手に力が籠ったところを見ると、痛かったようだ。しかし、手を離そうとはしなかった。
ルチアは諦めて溜息を吐くと、イーデの背にもたれかかった。
帝都ルイーゼを出てから数日後の夜。ルチアは目の前で燃える焚火の炎を見ながら、ぼんやりと座っていた。スメラ、イーデ、シリルは既に寝てしまっっており、実質ルチア一人のようなものだった。
明日の昼までにはシルヴィー村に到着する。つまりそれは、調査が本格的に始まる事を意味した。
ルチアは、なんとも言えぬ緊張に睡眠を妨げられ、ころころと寝返りをうった後、結局寝るのを諦めて、木にもたれかかっていた。
上を仰げば、木々の間から星空が見えた。
「『柱』って、なんなんだろう…。」
『柱』は人々、特に魔術師達にとっては大きな存在であるにもかかわらず、それはまだまだ謎に包まれている。世界各地に点在する『柱』は、魔術師達が使う魔法と同じように、風、火、雷などといったように、様々な属性を持っている。また、『柱』という名前ではあるが、それ自体は何かの物である場合と、聖地自体である場合があり、共通なのは大きな力を秘めている事ぐらいだった。
聖地は厳しく立ち入りが制限されており、ルチアが聖地の中に入る事になったのも初めてのことだった。
「昔、何かを封じ込める為にあるんだ、って聞いたことあるよ。」
「へえ……、え?」
まさか誰かから返答が帰ってくると思っていなかったルチアは、驚いて声のする方を見た。視線の先では、眠っていたはずのイーデが、寝転んだまま肘をついて、にこにことルチアを見上げていた。
「起きてたの?」
「うん。」
イーデは身を起こすと、何も羽織らず座っていたルチアに、自分の毛布を掛けると、彼女の隣に座った。
「セレーシアにいたころに聞いたんだ。」
「ふうん。…初めて聞いた。」
リュグナーツ帝国では、世界の均衡を保つためにあるとされている『柱』。妖精たちは、また違った価値観を持っているらしい。不思議なものだとルチアは思った。
イーデは、疲れたような顔をしているルチアの目元に軽く触れた。
「眠れなかったの?」
「ん…。なんか、緊張しちゃって。」
ルチアの夢は父ディルバのように、国で働く精霊使いになること。今回の調査は結果次第では、その夢への足掛かりになる可能性も十分にあった。だから、ルチアが緊張してしまうのも仕方が無い事だった。
「僕も頑張るから。ルチアは独りじゃないからね。」
「うん…。」
少しは緊張が解れたのか、眠そうにしはじめたルチアの肩を抱き寄せて、イーデは自分の方に彼女をもたれさせた。
ルチアの事は僕が守る。
ほどなくして眠りに落ちたルチアの頭をイーデは優しく撫でると、彼女に微笑んだ。
イーデと喋って、それからどうしたんだっけ…?
ルチアはここ数日同様、イーデの背に掴まりながら思った。
今朝は、シリルの小さな手にぺしぺしと叩き起こされると、既にスメラもイーデも起きていて、ルチアは毛布をかぶって横になっていた。
昨夜のことを聞くと、少し話しただけ、と言われたルチアだったが、イーデが少しだけ赤くなっているような気がし、不思議に思ったルチアは彼を問い詰めたが、それ以上は答えてもらえなかった。
何があったのだろうかと、ルチアはうーんと首を傾げていたが、そのときイーデが、あ、と声を上げた。
「ルチア、見えてきたよ!」
「………あ!」
イーデの声にルチアが前方を覗き込むと、見慣れたシルヴィーの村が見えてきていた。
あまり人の往来の無い村の為、訝しげにこちらを見ていた村人たちも、イーデとルチアの姿を認めると、二人に手を振る。
そこからぱらぱらと人が集まり、一行が村へ到着する頃には、小さな騒ぎになっていた。
「ルっちゃん、イーくん、シリルちゃん。おかえりー。」
「シェスカ! ただいま。」
群衆をすり抜けて、三人に近付いて来たのは、幼馴染のシェスカだった。長いおさげをぴょこぴょこと揺らして、シェスカは馬から飛び降りたルチアに近寄ってきた。
「陛下に呼び出されたって聞いたよー。大丈夫だった?」
「そーなの。緊張したよー、シェス!」
きゃっと抱き合った女子二人を横目に、やれやれといった表情全開で群衆を通り抜けてきたウィルドは、同じく苦笑いでゆっくりと馬から降りたイーデに、手を挙げて笑った。
「おかえり、イーデ。」
ウィルドは、イーデの側まで近寄ると、そのイーデの後ろにいるスメラをチラリと見た。
「で、聞きたいんだけど、後ろの美人さん、誰?」
「あ、そうだった。」
イーデはスメラの方を見て、ぽんと手を打った。粗方彼女の紹介が済むと、スメラは村長の所へ挨拶を、と連れ去られるように引っ張って行かれた。それと一緒に、集まっていた人々も、散っていって、辺りは一気にいつも通りの静けさに戻った。
残った五人は、とりあえずスメラと落ち合うために、町長の家へと向かっていた。
「でもさ、お前がシルヴィーに来る前の知り合いの話とか、初めて聞いたよ。」
ウィルドの呟きに、女子三人も同意するように頷いた。イーデは、そうだったか、と首を捻っている。
「セレーシアでの知り合いは、誰とも連絡取ってなかったし…。スメラ姉さんとだって、急に連絡来て、びっくりしてるんだから。」
ルチアもイーデから、スメラからの手紙は本当に突然のことで、最初はどうやって居場所を突き止めたのかも分からなかった、と聞いていた。
だが、それとはまた違うところで、ウィルドが不思議そうな顔をしていた。
「スメラ、「姉さん」……? 姉弟なのか?」
「あ、違うよ。」
そうだった、と言う顔で、イーデはウィルドに首を振った。
イーデによると、妖精は小さな集落に分かれてそれぞれ暮らしており、血の繋がりよりも、集落の繋がりの方が重要視されているらしい。要するに、同年代はみな兄弟、年上は兄姉、年下は妹弟という概念を持っているとの事だった。
「スメラ姉さんは、僕達より、四つ年上だからね。」
「なるほど。」
感心するような顔で頷いていた他四名だったが、シェスカは、ウィルドの顔に目を留めると、むっと眉根を寄せた。
「でも。ウィルってば、スメラさんのこと見た時から、鼻の下のばして、だらしない顔しちゃって…。」
突然のシェスカの糾弾に、ルチア、イーデ、シリルはぽかんとして、シェスカとウィルドを見た。
しばらく三人と同じく呆然としていたウィルドだったが、次第に状況を理解すると、驚きか苛立ちか、それとも図星だったのか、ともかく頬を上気させて、シェスカに反論した。
「はぁ!? そんなことしてねぇよ!」
「嘘よ! 私、見てたんだから!」
シェスカは感情が高ぶったようで、目を潤ませてウィルドを見る。ウィルドも彼女の泣きに、威勢を削がれ、少し戸惑ったようにシェスカを宥めようとした。しかし、そんな彼をシェスカはキッと睨みつけた。
「何よ、どうせ…。どうせ、私は美人じゃないわよ―――!!」
「ちょっ、シェス!」
ぱたぱたと走り去っていったシェスカを、大慌てでウィルドが追いかけていくのを、呆然としたままルチア達は見送った。
「ど、どうしよう。追いかける…?」
「いや、放っておいて良いと思うよ。……痴話喧嘩でしょ。」
イーデがさっさと行こうと、ルチアを促そうとすると、ぽかんとした顔のルチアと目が合った。
「あの、二人って……。」
「………気付いてなかったの?」
頬を押さえてぽっとしているルチアに、イーデとシリルは苦笑いを送ると、ルチアを促して、三人は村長の家へと向かった。
「あ、スメラ姉さん。」
村長の家で挨拶という名の村人の話を長々と聞かされたあと、スメラは、ようやく自由の身になれたと、村長の家の前で大きく伸びをしているところだった。
「イーデちゃん…。」
呼ばれた方に向くと、見知った顔の三人がそろって歩いてきた。
スメラはともかくは一人で『柱』の様子を見に行こうかと考えていた。しかし、他に人がいないのなば、話は別だ。彼らに与えられたのは緊急の仕事ではないが、急ぐには越したことがない。
「『柱』を、見に行こうと思うの。案内してくれる? ルチアちゃん。」
「あ、はい。」
ルチアとシリルは互いに目配せをすると、シリルは一足早く、すっと森の方へと飛んで行った。森番に話をつけ、スムーズに入るためだろう。
二人を先導していくルチアの背を追いかけ、村を奥へと進み少し行くと、すぐに森の入り口が見えてきた。その端の方に小さな小屋があり、その窓辺にシリルと思しき小さな人影が座っている。
遅れてやって来た三人の姿に気が付くと、小さな人影は小屋の窓から、森番に手を振ってルチアの所まで飛んできた。やはりシリルだったらしい。
「入って良いよー、頑張ってね、だって。『柱』の学者さんに調査依頼されたよ、ってことにしといたから。」
「ん、ありがと。」
ルチアはシリルがきゅーっと抱きついて来るのに、ぽんぽんと背中を叩いて答えると、いつものようにシリルを肩に乗せ、後ろにいる二人を振り返った。
「行きましょう。」
シルヴィーの『柱』は五つの聖具に守られている。小さな祠の中に、また小さな石がおさめられている。ルチアはいつもしているように、聖具がある場所を順に回って行った。
聖具は、いつもの通り淡く発光していて、これといって変わった様子は無い。また、この場所から感じる『柱』の力も、長い目で見れば変わっているような気がしたにすぎず、ここ数日でいえば、さしたる違いを感じることは出来なかった。
「何か変化は?」
聖具を辿り一周すると、スメラが石に手を添えながらそう聞いた。
「特には。」
ルチアは考え込むように首を捻っていたが、やがてそう答えた。
「…それで、どうやって入るんですか?」
「あぁ…。」
聖具は『柱』を囲むように置かれ、結界を構成している。その結界には、不用意に立ち入っても『柱』の元にはたどり着けず、いづれは元の場所に戻るような魔法がかかっている。
スメラは石から手を離すと、手を前にかざした。手のひらに意識を集中させることで、結界の正確な位置を探るためだ。スメラは手を前にかざしたまま数歩歩いて、立ち止まった。
「結界を破るのは、簡単よ。自分の魔力で、穴をあけるの。」
言い終わると、スメラは前にかざしていた手の指を人差し指だけ立てた。すると、その指先の空気が揺らめいた。薄青の気が指先に集中していく。そして、その指先で、何かを裂くように前方へ振り下ろした。
「―――っ」
ルチアは思わず息をのんだ。
見た目に変化は全くなかったが、言い知れぬ大きな力が、スメラの前方の空間から発せられていた。
「行きましょう。」
そう言ってスメラがささっと入っていったのに遅れぬように、イーデは彼女を追いかけた。しかし、それに続く足音がしない。イーデは訝しげに後ろを振り返ると、ルチアが呆然と立ち尽くしている。シリルも何か考え込むような表情で、ルチアの肩に座っている。
「ルチア?」
イーデが行こうと手を差し出すと、ようやくルチアは、我に返ったような顔で、彼の手と顔を交互に見た後、照れるように笑ってイーデの手を取った。
「何か…ね、びっくりしちゃった。」
「そうだね…。」
イーデに手を引かれるように、ルチアは結界の中へ足を踏み入れた。
濃く大きな力に纏わりつかれるような感触がした。
何だか、探られてるみたい…。
ルチアが黙ったままのシリルの様子を見ると、彼女も何か感じていいるのか、きゅっと口を引き結んで深刻そうな顔をしていた。
「ん…?」
先に行っていたスメラは三人が追い付くのを、じっと彼らに視線を送って待っていた。だが、視線が二人の目線よりも下にある気がし、イーデとルチアはその彼女の視線を辿って、そろそろと目線を下げていった。
「「………!!」」
二人は、ぱっと繋いでいた手を離した。
そして二人は、赤くなった顔のまま、スメラを空笑いで誤魔化して、小走りで彼女の隣まで急いだ。スメラは少し肩を竦めただけで、気にしたような様子もなかった。
「『柱』って、どこにあるんだろうね。」
少し黙って歩いた後、ふとルチアが言った。聖具の周囲の距離から換算すると、この結界内部はそう広くはなさそうだったが、当てもなく歩くのはつらい。
「それは、…『柱』次第よ。」
「「?」」
スメラによると、聖具で囲われた結界の中は、『柱』が支配する領域となり、『柱』にとって来てほしい人間ならば、すぐに到着できる。だが、招かれざる客ならば、いつまで経っても辿り着けず、元来た場所へ帰されてしまうらしい。基本的には、害意さえなければいつかは辿り着けるらしい。
「着いたみたい。」
スメラが前方を指差した。それに従って前を見ると、木々が少なくなったところがあるのが見えた。結界内部に入ってから、それほど時間は経っていなかった。
その開けたところまで出ると、その中心には大きな岩のようなものが鎮座していた。それはただの岩の塊のように見えたが、ところどころに緑の結晶のようなものが付いており、それがきらきらと輝いていた。
「これが、『柱』…?」
スメラはルチアの呟きに頷くと、岩の周りをゆっくりと一周した。そして、『柱』の傍まで来たはいいが、そのまま立ちつくしているルチアとイーデの側まで戻ってきた。
スメラは再び『柱』の方を向くと、その岩に触れて、手のひらに意識を集中させた。
力の流れが手のひらを通じて伝わってくる。崩壊し始めた『柱』は、最終的には視覚的にも変化をきたすが、その前に、内部の力に乱れが生じる。
いくつも『柱』を見てきたスメラは経験的に、まだシルヴィーの『柱』には変化が訪れていないと感じた。
しかし、乱れは感じなかったが、些か他のものより力が強いような、そんな気がした。だが、個体差の範囲だろうと、スメラは結論付けた。
スメラは手を離し、ルチア達を見た。
「崩壊が始まっているようには、思わないわ。とりあえず、一旦帰りましょう。」
「わかりました。」
ルチアはスメラに頷き返すと、『柱』を見た。
触れたらどんなことが分かるのだろう。ルチアはそこを立ち去る前に、スメラがしていたようにその岩に触れた。
「―――っ!」
ルチアはまるで火傷でもしたかのように、パッと手を離すと、その手をもう片方の手で庇うように握り締めて、前に鎮座している岩を見た。
何…? 喰われるかと、思った……。
「ルチア…。」
耳元で聞こえたシリルの声は、いつになく真剣で、シリルはルチアの横髪を縋るようにきゅっと握り締めていた。
ルチアはシリルを肩からおろすと、抱きしめるように彼女を胸に抱いた。
「ルチア、シリル? どうかしたの?」
『柱』の前で立ちつくしているルチアに、イーデが心配そうに声をかけた。しかし、ルチアは笑顔を取り繕って、首を振った。
「…ううん。何でもない!」
ルチアはシリルを抱えたまま、小走りでイーデとスメラを追いかけていった。
翌朝、緊急の用件は無いと判断したスメラは、帝都への帰途につくことを決めた。
元々スメラは、経験の無い二人の補佐の為にいたにすぎない。
到着時とは違い、見送りは早朝なのも手伝ってか、ひっそりとしたもので、イーデ、ルチア、シリルしかいなかった。
「昨日、来たとこなのに…。」
少しの間滞在した後は、すぐに別の任に着くことになっていたことは、分かってはいたが、まさか昨日の今日で帰る事になるとは思っていなかった。それは、スメラも同様だったが、任務で慌ただしく移動するのはよくあることだった。
「仕方がないわ。」
スメラは持ってきていた少しの荷物を馬に結わえると、鞍に乗った。
「それじゃあ…、詳しい調査と報告はお任せするから、頑張って。」
スメラはぱたぱたと手を振ると、それに応え手を振る三人を横目に馬を歩ませた。
しかし、村から見えなくなる程度の所まで進んだところで、スメラは馬を下り、木に手綱を括ると、荷物の中から小さな紙片を出した。
その紙片に指を当てなぞると、薄い水色に発光する文字のようなものが浮かんで、またすぅっと消えていった。
スメラは満足したように頷くと、その紙に魔力を籠めた。するとその紙は、水色の小さな半透明の鳥となって何処かへと飛んで行った。
「これで、自由に動けるわ。」
スメラは再び馬に跨り、馬の頭を反転させて、どこかへと歩いていった。