第一話

第五章彼女の本領

 なんだか下がとても固い。

 ベッドから転げ落ちたのかな、とミルチェは夢現で思った。しかし、このままでは身体が痛い、と仕方なくうっすら目を開ける。だが、そのぼんやりとした視界でも分かった。

 ここは自分の部屋じゃない、と。

 それを悟った瞬間、ミルチェは一気に覚醒してガバッと身を起こした。

「ここは……?」

 周りを見渡せば、三方壁で囲まれたそれほど広くない部屋。その一方の上の方には明り取りらしき小さな窓があるだけで、少し薄暗い。

 そして極めつけは、壁でないもう一方。

 そこには、太い鉄格子が嵌っていた。ついでに言うならば、その鉄格子の向こうにも同じような部屋がいくつか見える。

 これ、まさか、とミルチェが慄いていると、小さく溜息が吐かれた。

「やっと起きたんですのね。」

 そんな憮然とした声が響いた。その声にはっとして、ミルチェが後ろを振り返ると、むっとした顔の女性、アイミティアがいた。

「ア、アイミティア、様……。」

 アイミティアは同じ部屋の壁際に、その壁に背を預け座っていた。ミルチェは殺風景なその部屋に知っている顔を見つけ安堵し、かけて思い出した。

 そういえば私は、ハーディルに気絶させられたのではなかっただろうかと。

 知っている顔だから、と無条件では喜べない。

「あの、私はどうしてここに……。」

 少しだけ警戒をしながら、そうミルチェが尋ねると、アイミティアは盛大に溜息を吐いて、首を振った。

「そんな事、私が知りたいですわ……!」

 かなり苛立っている様子のアイミティアは、憎々し気にミルチェの背後にある鉄格子を睨む。

「何も説明されず、こんな所に入れられて! ………もっとも。貴女は、お兄様に連れてこられたんですものね。私が何も知らないという事を、信じれずとも無理はないでしょうけれど。」

 アイミティアの言う通り、ミルチェもそこが気がかりだった。

 ミルチェを気絶させ、こんなどう見ても地下牢らしき所に押し込めハーディル。その目的がミルチェの保護ではない事は明らかだ。

 この調子では、キースが賊に襲われた、というのも怪しくなってくるな、とミルチェは思った。

 よくよく考えてみれば。本当にキースが襲われていたとするならば、何故ハーディルはあそこにいたのか、という疑問が発生する。

 彼は王の護衛。故に、キースから離れるとは考えづらく、ミルチェへの知らせなど、それこそ、伝令で良かったはずなのだ。

 だから、おそらくはここに連れてくるための方便、その可能性が高い。そう、ミルチェは思った。

 とはいえ、真偽が分からぬ今は、それをひとまず置いておく。

 今は、アイミティアが信用できるか、だがそれもミルチェは、アイミティアの先程の言葉で決めていた。

「信じるよ。」

「え?」

 アイミティアはミルチェの言葉に目を瞬かせる。

「だから、信じる、って言ってるの。」

 もう一度ミルチェがそう言うと、何故かアイミティアの方が慌て始めた。

「な、何故ですの? お兄様が何か良からぬことをしようとしているのは、私にも分かります。それなのに貴女は、その妹を信じると言うんですの?!」

「そうだよ、信じる。―――だって、あなたは嘘をつけないでしょう?」

 アイミティアは真っすぐだ。

 ミルチェは初めて会った時から、何故か嫌われているようだったが、それでもアイミティアは、その気持ちをミルチェに素直にぶつけてきた。

 ミルチェとキースが近付く事が気に入らないと、そのまま。

 今日大神殿まで、アイミティアが来たのもそうだ。彼女は文句を、真正面からミルチェに言いに来た。

 ああ、だから私はアイミティアが嫌いになれないんだ。

 ミルチェはそれを再認識した。

 が、アイミティアは憤然とミルチェに言い返した。

「わ、私だって嘘くらいつけますわ!」

 アイミティアはそれの証明のように、今までついてきた嘘を、一つづつ挙げていく。

 お勉強が嫌で風邪と嘘をついて休んだ事。お菓子をもっと食べたくて、兄達が一つ多く食べた、と嘘をついて泣いて困らせた事。雷が怖いから帰れないと嘘をついて王宮に留まり、少しでも長くキースと一緒にいようとした事、などなど。

 そんな些細な嘘を懸命に話すアイミティアが、ミルチェは可愛く見えてきて、ついに笑い出した。

「ど、どうして笑うんですの!!」

「ぷっ…。や、ごめん……、嘘をつけるのはわかった、わかったから……。」

 肩を震わせ続けるミルチェに、アイミティアは真っ赤になって怒る。

 あんまり笑い続けると、アイミティアは本気で怒りそうだったため、ミルチェは程々のところで笑いを収めた。

 そして、話の趣旨が変わってきているような気がしたミルチェは、軌道を修正しておく。

「笑ってごめん。でも、そうやって素直に怒ってくれるから、信用できるって言いたかったの。」

 ミルチェは思っているままの事を口にしたのだが、アイミティアは納得できていないらしく、怪訝な顔をする。

「それに……」

 仕方なくミルチェは、彼女が納得できそうな理由を探す。

「それに、何ですの?」

「もしあなたが関係してるなら、仲良く牢屋に入ってはいないでしょ?」

 ここは冷たい牢屋だ。アイミティアがもし、ハーディルと組んで何かをしているのなら、もっと違う場所にいるはずだとミルチェは思った。

 それを聞いてやっと納得できたのか、アイミティアはようやく、確かにそうですわね、と頷いた。

 ようやく納得したか、とミルチェはやれやれと思った。

「私があなたを疑っていない理由は納得できたみたいだし、これからの事を話さない?」

「これから?」

 ミルチェは大きく頷く。

 ここでただじっとしているなど、ミルチェの性には合わない。今何が起きているのかもよく分からないミルチェだが、とりあえず脱出しなければと意気込む。

「まず……、ここがどこだか分かる?」

 場所が移動しているのは、ミルチェも勿論分かっているが、その間気絶していた彼女は、どこにどのようにして運ばれたのか、全く記憶になかった。

 ミルチェはひとまず、アイミティアに聞いてみる事にした。

「私も、よくは分かりませんが……。神殿から王都へ下りてから山を登って、ここに着きましたの。今は使われていない屋敷のようですわ。」

 ここはその屋敷の地下にある牢のようだと、アイミティアは言った。

 彼女によると、上の屋敷はかなり傷んでおり、床や壁も色褪せ、窓も割れている所があったらしい。だが、詳しい場所までは分からず、誰の屋敷だったのかも勿論分からない、とアイミティアは話した。

 詳しい場所は分からずとも、とりあえずアイミティアは、ここに来るまで意識があったらしいことははっきりした。

「そうなのね…。それじゃあ、ここまではどうやって来たの? 馬車?」

「そうですわ。あの時乗ってた馬車でそのまま。」

 ミルチェはそれを聞いて、ふむと考え込んだ。今回乗っていた馬車は、大神殿から王宮まで行くだけのもの。大神殿所有のものである事が分かるよう、上等な馬車ではない。

 つまり、街に簡単に溶け込んでしまうもの、という事だ。

 だが大神殿から王宮を通り過ぎる馬車は少ない。覚えている人がいないだろうか、とミルチェは少しだけ期待していた。

 迎えが来た方が、自力で脱出して逃げ出すより安全に帰れる。

 それに、とミルチェはチラリとアイミティアを見た。

 お嬢様を連れて山を下りるのは、出来れば勘弁……。

 体力無さそう、ミルチェはこっそり溜息を吐いた。

 だが助けが来る確証が無い以上、自力で脱出して逃走が大前提だった。

「それじゃ、とりあえず最後だけど……、ここから脱出できる手立てはありそう?」

 ミルチェはくいっと親指で後ろの鉄格子を指差した。まず、あれが何とかできなければ話にならない。

 だが、その質問にアイミティアは渋い顔をした。

「私には無理ですわ。……私は魔術を使えますけれど、この牢屋、魔術封じが掛かっていますもの。」

 魔術封じ、その名の通り、魔術を封じる術だ。

 魔術は手順さえ踏めばある程度は、誰でも使えるものだが、その分、対抗する術も多い。その魔術封じを掛けた者の力量より魔術を使う者の力が勝っていれば、それを突破することもできる。

 だが、アイミティアの様子を見るに、無理だったのだろうとミルチェは悟った。

 冷静に考えれば、ここは牢屋。罪人を閉じ込める為のものなのだから、そうそう簡単に打ち破れる術な訳はなかったのだが。

「魔術ではムリ、ってことね……。」

 アイミティアは悔しそうに唇を噛んだ。自分の技術に自信があったのだろう。

 ミルチェはまた、他の手立てが無いか考えていた。

 ここから出る手段として考えられる事はまず二つだった。

 一つが魔術での牢の破壊。もう一つが鍵を針金か何かで開ける事。

 だが、二人にはその技術はない。

 後考えられる手としては、正規の鍵を手に入れる、という事だが。牢屋番がいれば話は別だが、見張りどころか、アイミティアとミルチェ以外誰もいないこの場所では、どう考えても不可能だ。

「………ここで、助けを待つ他ありませんわ。」

 万策尽きた、とアイミティアは絶望的な顔をしている。確かに、通常考えつく方法では無理だ。

 だが、策が無くなったわけではなかった。

「………できれば、この手は使いたくなかったんだけど。」

「何をする気ですの?」

 おもむろに立ち上がったミルチェに、アイミティアは怪訝な顔をする。そんなアイミティアにミルチェはにこっと笑って、鉄格子に向かって手を突き出した。

「私が破壊する。少し下がってて。」

「は? ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 アイミティアは立ち上がると、ミルチェの肩を掴み、ぐいと引かれ、ミルチェは強制的にアイミティアの方へと振り向かされた。意外と力強いな、とルチェは思った。

「何?」

「何、って……。貴女、魔術は使えますの?」

「使えないけど?」

 平然と宣ったミルチェに、アイミティアは目を剥く。

「それじゃあ、魔法で、と仰るつもりですの?」

 ミルチェがその問いに頷くと、アイミティアはこの世の終わりのような顔をして、天を仰いだ。そんな顔しなくても、とミルチェが苦笑すると、それが気に入らなかったのか、アイミティアはミルチェを睨んだ。

「確かに、この中でも魔法は使えると思いますわ。だけど……!」

 魔術封じの効力の中に魔法は含まれない。

 そもそも魔法はこの国で二人しか使えない。それをわざわざ封じる必要など、どこにもない。

 だから、ミルチェはどこでだって、魔法を使うことが出来る。アイミティアが心配しているのはそこではない。

 ミルチェはアイミティアを安心させるように、その手を握った。ミルチェにも、「だけど」の続きは分かっている。

 今代の導師は、魔法を儀式で使う以上のものを使用できない。

 ミルチェは笑った。そして、アイミティアにもう一度、下がってて、と言ってその手を離した。

 貴女がやっても無駄だ、とアイミティアは言いたかったのだ。

 ミルチェだって、アイミティアの立場ならば、そう言っただろう。

 儀式に使える程度の力では確かに、無駄だからだ。

 せいぜい、風ならば鉄格子を浅く傷つけ、火ならば人が火傷をする程度の熱さに、それだけだ。

 だが、覚悟を持った目をしたミルチェに、反論はやめたらしいアイミティアは、今度は大人しく下がって、壁際に寄った。

 ミルチェはそれを確認して、鉄格子に向き直る。

 儀式に使う程度の魔法しか使えないミルチェは、導師の椅子に座らせておく以外、役に立たない。ミルチェはそれで良いと思っていた。下手に政争に巻き込まれるなど御免だったからだ。

 だが、いや、だからこそ覚悟した。

 ここから出るには、こうするしかない。

 ミルチェは鉄格子に向けた手の平に集中する。身体を巡っていた力を制御し、そこへと集めていく。

 ―――風よ

 一瞬強い風が吹く。

 目が開けていられない程の風。

 そして、フッとその風が消えて、静寂が戻った。

「………え」

 後ろから、アイミティアの呆けた声が聞こえる。

 その鉄格子には、穴が空いていた。

 人ひとりが余裕をもって通れるほどの、大きな円形の穴。その穴の所にあったはずの鉄の棒は、どこにもない。ミルチェの魔法によって木っ端微塵、いや粒子の様に粉々になり、どこかへと飛んで行ってしまったのだ。

 それでいて、そのまわりは、傷一つついていない。

 その光景に腰を抜かしたアイミティアに、ミルチェは手を差し出した。

「さ、行きましょ。」

 おそるおそる手を握り返したアイミティアを、ミルチェは引っ張り上げ一緒に牢屋を出る。

 こうして、「力の弱い導師」は、この世からいなくなった。




 キースはハーディルと二人、王城を出て王都を抜け、山道に入った。

「どこまで行くんだ?」

「もう少しです。」

 キースの少し前を行くハーディルは言葉少なく、どこか落ち着かない。

 それを感じ取っているのか、ハーディルの乗る馬も、どこか神経質そうに辺りを気にしていた。

 王城を出る前、エルムを下がらせたキースは一人、ハーディルの帰りを待っていた。

 ハーディルが此度の暗殺未遂事件に関わっている可能性が高い、というのは状況証拠のようなものが主で、確固たるものではなかった。だが、今日の彼の動きで、それは確信に変わった。

 今朝、ようやく日常生活に戻るという許しを侍医から下された。

 それによって、導師と王の接触を、見舞い、と言えなくなってしまう事になった。つまり、導師も元の生活に戻る、神殿から一歩も出ない生活に、だ。

 キースの個人的な、ミルチェの軟禁生活への憤りはひとまず置いておくとして、キースの快癒で問題になるのは、今回の事件を起こした人物たちだろう。

 キースはあの事件以降、相手方に目立った動きが無いという事を不審に思っていた。神殿に侵入してまで事を起こしたのだから、何かしてきても不思議ではない。その上、ミルチェは頻繁に神殿の外へと出るようになった。そこを狙わない手はないからだ。

 正直、王を挿げ替える。という目的だとするならば、対象は王と導師、どちらでもいいのだ。導師が死ねば、王の手から印が消える。逆もまた然り。それが互いを対とする所以だ。

 今までは、神殿の強固な結界や、そこに勤める数多の魔術師達の存在ににより、導師に手は出せなかった。だが、それが外に出るようになったのだ。敵としては、狙わぬ道理はない。

 それゆえ、キースは思った。今まで何の動きもなかったのだから、何かあるとすれば、また導師が神殿に籠る前、つまり今日しかない、と。

 そして、動きがあった。

 戻ってきたハーディルは、こう言ったのだ。「導師が攫われた」と。そして今、「彼女を助けるため」に、二人は山道を登っている。

 果たして、本当にこの先にミルチェはいるのか。

 居場所が分からないように、人目に付かない所に置かれているのは確かだろうが、キースにはそれ以上の事は分からない。

 キースは右手の甲を見る。まだそこに印があった。

 キースはミルチェの無事に安心し、そしてその手から視線をずらす。

 そしてキースは、ハーディルの背を見た。

 一体、今ハーディルは何を考えているのだろう。キースは彼の様子を窺うが、そこからは何一つ、読み取れそうにはなかった。

 そうして始終無言のまま進んでいると、ハーディルの前方、その先に、古い屋敷が見え隠れしている事にキースは気が付いた。

 そこが目的地らしい。

 ハーディルはやはり黙ったまま馬を下りて、近くの木にその馬を括りつける。キースも同じようにして、先に屋敷の門扉の方へと歩き始めたハーディルを追った。

「こちらです。」

 そう言って歩くハーディルの足に迷いはない。攫われた導師を追って、はじめてきた場所、という演技をすることすらない。

 もうばれていると開き直っているのか、演技をする余裕も無いのか。

 ハーディルは屋敷を入って真っすぐ歩いた先にある、大きな扉を開けた。以前は大広間として使われていたらしきそこは、今はただただ広いだけの部屋だ。窓が広い為、明かりが無くとも十分明るいが、その窓のいくつかはガラスが無く、そこにかかるカーテンも破れている。

 だがそれだけだった。ハーディルとキース、それ以外の気配はない。

 幾人か人を隠れさせておいて袋叩き、という可能性をキースも考えていないではなかったが、そういう目的ではないらしかった。

「ディー、ミルチェはここに?」

 部屋の中央で立ち止まったハーディルに、キースはそう問いかける。

「いえ、ここには。下の、地下牢にいらっしゃいます。」

「地下牢?」

 ハーディルは依然として、キースの方を見ようとしない。背中を向けたまま頷く。

 頷いて、ハーディルはおもむろに腰に佩いていた剣に手をかける。そして、振り向きざまにその剣を抜いた。

「ディー……」

 その剣先はぴたりとキースの方へと向けられていた。ハーディルは暗い顔をしていた。感情が読み取れない、暗い顔。

 そしてそのまま、もう分かっているんでしょう、と呟く。

「導師は保険のために連れてきたにすぎません。俺の目的は、貴方だ。」

 ハーディルはいったい何を思って、喋っているのか。色のない声は、ハーディルの心情を何一つ、教えてはくれない。

「私には、貴方の首が必要なんです。」

 キースは思わず剣の柄に手をかけた。それを見て、ハーディルの顔が歪んだ。

「貴方にはここで、死んでもらいます。」




「ずっと、おかしいとは思ってましたわ。」

「なにが?」

 閉じ込められていた牢屋を脱出したアイミティアとミルチェは、地下から出るべく、上階へと繋がる階段を目指して歩いていた。

「貴女の魔法が弱い、ということですわ。」

 むっと口を尖らせるアイミティアは、ちらりと後ろを向く。まだ、穴の開いた鉄格子が遠くに見えた。

 ミルチェは苦笑を漏らす。

 ずっと、力が弱い導師、と周りを偽ってきたが、恐らく、ミルチェの魔法の腕前は、過去の導師たちの中でも、上位に入る。

 それでも、それを誇示せず、力のない導師を演じてきたのは、無駄に力を持ってもらっては困る、と思っていた国の上層部と、面倒事を嫌ったミルチェの利害が一致していた事。それから、先代導師の手記に書かれていた、助言による。

 先代導師の死によってミルチェ達は代替わりした。そのためミルチェと、先代は勿論面識はない。

 だが、神官長経由で手元に来た彼女の手記に、導師としての世渡りの仕方や、魔法の使い方をミルチェは学んだ。王都へ来て、導師としての立ち振る舞いは学んだミルチェだったが、魔法や導師に関する詳しい記録などは教えてもらえなかった。

 あれがなければ、今こうして魔法を使って身を守る事は出来ていなかったかもしれない、ミルチェはそう思う。名実共に、力の弱い導師として。

「どうして、『おかしい』って?」

「陛下が類まれなる魔法の使い手、と呼ばれているのはご存知ですわね?」

 それを聞いて、ミルチェはそういう事か、と頷いた。

 導師の魔法と王の魔法は、同じ、魔法、という言葉ながら、全く違う性質を持っている。

 導師の魔法は、魔術師たちの使うものとほぼ同じことが出来るが、王の魔法はそうではない。

 自然に干渉できる力、そう言われてる。治癒魔法も人の自然治癒の力に干渉する事でおこしている。普段使うものとしては治癒魔法ぐらいだが、王は気象をも操ると言われているのだ。もっとも、そこまでの力を顕現できるのは、ほんの一握り。

 そしてキースは、そのほんの一握りに、含まれている。

 そして、それがミルチェとどう関わるのかは、そう難しい話ではない。対である王と導師の魔法の力量は、ある程度、相関すると言われているからだ。

 二人がそんな話をしている間に、階段が見えてきた。その手前にあった鉄格子もミルチェが粉砕した。

「………、言葉が出ませんわ。」

 いとも簡単に放たれる魔法に、アイミティアは称賛を通り越して、呆れた視線をミルチェに寄越す。

「そんな事より、さっさと逃げるよー。」

 ミルチェは足取り軽やかに、つい先ほどまで鉄格子の門があった場所を潜り抜けて、地上へ通じていると思しき石の上り階段に足をかけた。その後ろを、アイミティアも付いてくる。

「………すごく今更ですけど。貴女、そんな喋り方、いつからしてましたの?」

「本当に今更だね。」

 狭い階段を上りながら、ミルチェは肩をすくめた。

「大した意味は無いよ。ただ、取り繕うのが、馬鹿みたいだなと思って。」

 正直にその理由を言う事は、少々気恥ずかしく思ったミルチェは、何でもないようにそう言った。

 だが、本当の理由はこうだった。

 あの牢の中で、アイミティアを信じると、ミルチェは決めた。

 そう決めた時、アイミティアに対して取り繕った言葉を話す事、それがミルチェはどうしても嫌になった。

 導師らしくない。

 だが、ミルチェもそれは承知の上だ。しかし、彼女がどういう反応をするのかは気になった。

「アイミティア様?」

 後ろからとくに何の反応も帰ってこない。

 それを怪訝に思い、ミルチェはアイミティアの名を呼び振り返った。そして目にした彼女の顔は、ミルチェの予想したような戸惑った顔でも、なんでもなく、妙に納得したような顔だった。そしてミルチェと目が合った瞬間、何故かアイミティアは溜息を吐いた。

「馬鹿みたい、確かにその通りですわ。……今までの貴女、完璧な慈愛の女神みたいで、薄ら寒かったんですもの。」

「うすらさむい……。」

 分からないでもないが、ひどい言われようだ。

 ミルチェはぽかんとアイミティアを見る。

 しかし、完璧な慈愛の女神、というのは割とミルチェ自身、意識していたものと近いので、彼女も何も言い返せなかったのだが。

「今の貴女の方が自然。同じ人間だと思えますわ。」

 そう言いながら、アイミティアはふわりと笑った。

 初めて、ミルチェが見る彼女の笑顔。さすが美少女、破壊力抜群だった。自分が男だったら、ころりといってしまうかもと、ときめきかけた胸を、ミルチェはそっと押さえた。

 そしてその一瞬後、その笑顔を引っ込め、わざとらしいほど顔をしかめる。

「ですから、『アイミティア様』なんていう、薄ら寒い呼び方は、止めてくださいます? ………アイム、でいいですわ。」

 アイミティアは照れたように、頬をうっすら朱に染めて、ぷいとそっぽを向く。その様子を見て、ミルチェは思わず、呟いた。

「アイム、かわいい……。」

 もちろんその後、馬鹿にして! とミルチェは怒られた。




 キンと金属のぶつかる音が、二人しかいない大広間に響く。

 キースは後ろに飛んで、ハーディルから距離を取った。

 キースは、はあと大きく息を吐いて、疲労を逃がそうとする。

「息が上がってますよ。」

「………、うるさい。」

 キースは流れる汗をぐいと拭った。

 正直、甘く見ていた。キースはそれを痛感していた。

 ハーディルは戦いが本職だ。剣の純粋な腕だけでは敵わないことはキースも分かっていたが、魔術と魔法を駆使すれば、それなりに相手をできると思っていたのだ。

 結果は、とんでもない、という一言に尽きる。

 今だって、息を整えるキースに迫ることもなく、悠然と体勢を整えている。

 キースはぐっと力を込めて、剣を構えなおす。

 手が痺れている。ハーディルの一撃はひどく重かった。

 それだけではない。致命傷やそれに準ずるような大きな傷こそないが、キースは身体中に細かな傷を負っていた。

 ハーディルはゆったりと剣を構えて、動かない。

 ずいぶん、余裕だな……

 キースは地を蹴って、ハーディルに肉薄する。ハーディルはそれを軽く受け流し、攻撃に転じる。キースもそれを受け止める。

 キースはなんとかハーディルを、生きたまま取り押さえようと思っていた。剣と魔法と魔術、それらを使えば、剣しか使う事の出来ないハーディルより分があると、キースはそう思っていたからだ。

 だがそれは、ほぼ不可能である事を、このたった少しの間で、キースは思い知らされていた。

 なら、どうすればいい。

 剣を振り、受け流し、また振る。

 それを繰り返しながら、キースは考える。

 どうするのが最善か。自身が殺されるわけにはいかない。この事態を知る人間を少しでも減らそうと、キース一人で来たのが仇となった。

 一人で何とかしなければならない。殺さずに捕らえる、それはキースには無理だ。

 ならば、出来ることは限られている。

 キースはハーディルに剣を一太刀あびせ、炎よ、と呟いて作り出した火炎をハーディルの脇腹に叩き込んだ。それに少し怯んだハーディルに、キースはもう一度剣を振り下ろす。だが、やはり受け止められ、流される。

 隙が出来ない。

 キースは焦っていた。剣を振るごとに、魔術を放つごとに、体力が削られていく感覚が身体を支配する。

 もう、どうにも出来ないのか……?!

 キースがそう思ったとき、ハーディルの動きが一瞬止まった。

 ほんの一瞬、何かに気を取られたように、ほんの一瞬だけ。

 だが、それがキースにとっては、大きな一瞬だった。

 キースは剣を振り上げた。

 これを、このまま振り下ろせば、それは確実にハーディルの命を奪ってしまう。

 それを悟った。

 おそらくは、ハーディル自身も。

 視線が交錯する。

 キースは剣を振り下ろした。

 その視線を、胸の痛みを、全てを感じぬ振りをして。




 暗い階段を抜けると、外に繋がっていた。朽ちた屋敷の中庭の隅。そこにある小さな建物から、屋敷の下にあるのであろう地下へと続いていたようだった。

 ミルチェは意外にも抵抗のない扉を開けて、土を踏みしめ、大きく伸びをする。幸いにして空は晴れていて、これからのことを考えると、逃げやすくて大変良い天気だ。

 だが。

 ミルチェは、それ以上に妨げになりそうな事を思い出し、少しうんざりと後ろを振り返った。

「貴女……、な、なんで、そんなに、元気……ですの………」

 ボロ雑巾のような、いや、大変疲れた様子のアイミティアが、ようやく姿を現す。

 やはり、体力無さそう、というミルチェの予想は当たっていたようだった。確かに長い階段であった。だがそこまでだろうか、とミルチェは首をひねった。

「大丈夫?」

「大丈夫に、みえますの……?」

「………。」

 恨めし気な顔で睨まれ、ミルチェは肩をすくめて、手を差し出した。アイミティアはそれを大人しく受け取って、最後の一段を上がる。

「ようやく、外、ですのね。」

 アイミティアは肩で息をしながら、きょろきょろと外を見渡していた。そして彼女は、はてと首を傾げた。

「ここへ来たとき、こんなところ通りませんでしたわよ……?」

「え、そうなの?」

 どうやら、屋敷の中からも入れる道があったらしい。

 アイミティアによると、屋敷に一度入った後は、外へは出ず、屋敷の中の隠し扉のようなところから入ったとの事だった。そのおかげで、今回通った行程より、はるかに早くあの牢まで辿り着いたという。

 確かに、雑草で埋め尽くされた庭は、ここ暫く誰も立ち入ったような形跡はない。このままでは、田舎育ちのミルチェはともかく、階段でへばっているアイミティアは、進むことすらできないに違いない。

 仕方ないとミルチェは、アイミティアの手を引きながら、行く手にある草を魔法で風を起こし刈り取った。屋敷までの道を作るように、広く草が刈られた地面をミルチェはアイミティアの手を引いたまま歩く。

「本当に、息をするように魔法を使いますのね。」

 屋敷まで目前となった時、アイミティアがぽつりと呟いた。

「まあ、一杯練習したからね。」

「練習…、よく見つかりませんでしたわね。」

 ミルチェは、まあね、と肩をすくめた。たしかに、ミルチェ一人なら、簡単に見つかってしまっただろう。今まで見つからなかったのは、ハンナをはじめとした協力者がいたからに過ぎない。

 アイミティアの、ふうん、という気のない返事を聞きながら、ミルチェは屋敷へと入る短い階段を上がった。ガラス扉を抜けて屋敷へ入ると、アイミティアが律義にもそれを閉めた。

 外の木々のざわめきが消え、辺りがしんと静まりかえる。耳が痛くなるような静寂の中、二人の足音だけが響く。

「誰もいないのかしら?」

「さあ……。」

 用心しながらも二人は、知らず知らずの間に早足になっていた。あまりにも静かで、妙な恐怖があった。

 二人はそのまま幾度か廊下を曲がり、何とか表の方へと向かった。アイミティアが、ここ通りましたわ、と言った時には、ミルチェは心底ほっとした。その後はアイミティアが先導し、二人は表を目指す。

「もう少しですわ。」

 アイミティアがほっとした笑顔でそう言った。確かに、静かだった屋敷に、二人以外の音が混じりはじめた、ミルチェはそんな気がした。

 喧噪、というには細やかなそれは、歩を進めるごとにはっきりと聞こえるようになっていく。

 そして、遠目にアイミティアが玄関だという場所が見えるようになった時、何の音かはっきりとはしなかったその音が、キンッと二人の耳を貫いた。

「今の……。」

 その音は、その後も何度か連続して響く。金属がぶつかるような音。

 ミルチェとアイミティアは、お互いの顔を見合う。お互い、この音が何か、考えている事は同じだと確信する。

 二人はどちらからともなく、その音のする方へと走り出した。

 金属の音。

 それは、おそらく剣の打ち合う音。

 誰かが戦っているのだ。

 逃げるべきだったのかもしれない、とミルチェは足を止めないまま思った。二人の今の状況を考えるならば、味方であるとは限らない。だが、どちらも逃げようとしななかった。

 何か、嫌な予感がしたのだ。

 意外に足の速かったアイミティアと、ミルチェは同時にそこへと辿り着いた。玄関扉の反対にある部屋。大きな広間のようなその場所の中央。

 そこに二人の人物がいた。

 それを見た瞬間、ミルチェとアイミティアは金縛りにあったように動けなくなった。

 なんで……

 そこにいる二人とも、ミルチェは知っていた。そしてそれは、あんなふうに対峙する二人は決してなかったはずの二人だった。

 先に動いたのは、アイミティアだった。彼女は一歩、二歩と震える足で広間に入った。

「ディー兄様!!」

 その声に、ようやくミルチェも我に返ったように、一歩踏み出した。そして、その声に気を取られたのは、ミルチェだけではなかった。

 その名を呼ばれた男が、一瞬だけ、アイミティアを見た。

 ミルチェにすら、彼の動きが鈍ったのが分かった。その鈍った動きの隙をつくように、相手の剣が振り上げられた。

「―――っ」

 ミルチェは堪らなくなって、地面を蹴った。この後、何が起こるのか、その場にいる全員が理解していた。後ろでアイミティアは崩れ落ちて顔を覆った。

 ミルチェは止まらず走った。

 走って、何が出来るというわけではない。だが、それでも走らずにはいられなかった。

 どうしてこんな事になっているのか、ミルチェには全然分からない。

 彼との思い出を語った時の優しい笑顔が、照れくさそうな顔が、浮かんでは消える。

 あんな顔で笑える相手を、どうして。

 ミルチェは声にならない声で叫んだ。

 コマ送りのように、その腕がゆっくりと振り下ろされていく。

 そんなの、駄目。

 貴方が一番、知ってるでしょう。

 どうして、止められないの。

 やめて

 やめてよ―――

「―――キース!」

 逸る気持ちに足が追いつかず、ミルチェは足を取られて地面に倒れた。

 そして、ぽろぽろと涙を零しながら、その時を待った。

 だが、いつまで経っても、予想したような音は聞こえては来なかった。

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